悪しき記憶を持つ者は、その記憶を切除され、新しい自分として生きていく。その技術をもたらしたのは、地球に到来した異星の訪問者トウニン人である。表題作「生まれ変わり」は、トウニン人の恋人を持つ特別捜査官が、トウニン人殺害テロの謎を追うサスペンスとして始まる。しかし、その核心にあるのは、記憶とアイデンティティの問題だ。悪い記憶を消した人間は別人なのか。過去の罪は記憶とともに消えるのか。消えていた記憶が戻ったとき、どちらの自分が本当の自分なのか。
本書は『紙の動物園』『母の記憶に』に続く日本オリジナル短篇集の第三弾で、2002年のデビュー作から最新作まで全20篇を収録している。スケールの幅が際立って広い一冊で、アジアの田舎の靴工場で働く少女の運命を描く「ランニング・シューズ」のような地に足のついた現代劇から、「七度の誕生日」のように7歳・49歳・343歳・2401歳と指数関数的に積み重なる誕生日を経て宇宙の終焉まで視野に収める超長期スパンの物語まで、読むたびに焦点距離が更新される。
「七度の誕生日」はこの短篇集の中でも特に印象深い。電子的にアップロードされた人類の文明変化を追いながら、それでも家族との触れ合いや欠落を描き続ける。遠未来を語りながら、書いているのは人間の時間の話だと気づく瞬間がある。
「隠娘」は唐代中国を舞台にした歴史ファンタジーで、謎の僧に見出された将軍の娘が殺し屋として生きる物語だ。これが20篇に並ぶことに、ケン・リュウの射程の広さが表れている。SFも歴史も現代小説も、彼にとっては人間の条件を深掘りするための形式に過ぎない。
巻末に置かれた「ビザンチン・エンパシー」は、慈善事業にブロックチェーンと共感テクノロジーを導入することで難民支援を直接可能にするシステムの勃興と挫折を描く。リアルタイムで他者の苦しみを「体験」できる装置が広まるとき、共感は連帯を生むのか、それとも消費を生むのか。善意すらもまた、揺らぎうるものとして差し出される。
既刊二冊の読者には、本書がいくぶんSF色を強めた一冊として映るかもしれない。数学的・科学的背景が前提になる篇もあり、序盤はやや歯ごたえがある。しかし中盤以降、時間や記憶や他者との接続をめぐる篇が積み重なるにつれ、ケン・リュウという作家の核心——技術の変化の只中でも人間の心の機微を書き続けること——がくっきりと輪郭を持ち始めることだろう。
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