ロバート・F・ヤングは、バッファローの鉄鋼会社に勤めながら、40歳近くになってから書き始めた作家だ。1915年生まれ、1986年没。太平洋戦争に従軍した3年半を除けば、ほぼ生涯をエリー湖畔の自宅で妻とともに過ごし、SF専門誌『ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション』を主な舞台に短篇を書き続けた。
その地味な経歴と、作品に満ちた詩的な輝きとのギャップこそ、ヤング最大の魅力と言える。
しばしばレイ・ブラッドベリやセオドア・スタージョンと並び称されるが、それは決して誇張ではない。本書に収められた10篇はいずれも、SFでありながら同時にロマンティックな幻想譚として読める。宇宙規模の物語を描きつつ、その中心にはいつも人間の小さな愛情や哀しみが置かれている。
表題作『ジョナサンと宇宙クジラ』は、巨大な宇宙生物の体内に取り込まれた人類の物語だ。巨大な存在の内側で生きる小さな存在という構図は、聖書のヨナ書を思わせる。大と小、永遠と有限。そうした対比がヤング作品には繰り返し現れ、読後に甘美な余韻を残す。
巻頭の『九月は三十日あった』は、本書の入口として実にすばらしい。時代遅れになったアンドロイド家庭教師を買い込んだ父親の話で、古い機械への愛着と、それを手放す切なさが丁寧に描かれる。SF的なアイデアは派手な見せ場ではなく、感情のドラマを支えるために使われている。そのヤングらしさが、この短篇にはよく表れている。
『サンタ条項』では宇宙時代のサンタクロース伝説がユーモラスに語られ、『空飛ぶフライパン』では、その名の通り空飛ぶフライパンで宇宙へ飛び出す。『いかなる海の洞に』は巨人族が棲む深海を舞台にした幻想譚で、壮大なスケールと抒情性が共存している。
全10篇を通して感じるのは、どれほど奇妙なものや危険なものが登場しても、最後には柔らかな感触が残ることだ。それがヤング作品に一貫して流れる魅力でもある。
編訳を手がけた伊藤典夫の訳文や紹介によって、ヤングのロマンティックな魅力は日本でも広く知られるようになった。その甘さを苦手とする読者もいるだろう。だがそれは単なる感傷ではない。「この宇宙で、人間は小さく、それでも愛おしい存在なのだ」という感覚に支えられたものなのだ。
ヤングがブラッドベリと並び称される理由も、そこにある。宇宙を舞台にしながら、最後まで人間の情感を書こうとする強い意志が、両者には共通している。
『たんぽぽ娘』でヤングを知った読者にも、本書からその世界へ入る読者にも、安心してすすめられる一冊だ。
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