『くらやみの速さはどれくらい?』——本書では何度も繰り返される。光の速さは測れる。では、暗闇の速さはあるのだろうか。暗闇とは光が「ない」状態なのだから、そもそも速さを持たないのかもしれない。この疑問は、「正常」と「それ以外」の境界が自明なのかどうかの比喩として、主人公ルウの中で響き続ける。
物語の舞台は近未来。子どもの自閉症は完全に治療できる時代になっている。しかし、すでに成人した自閉症者には、その技術は届いていない。主人公ルウは30代の自閉症者で、製薬会社の研究部門でパターン認識の仕事をしている。フェンシングを愛し、友人もいて、自分なりの秩序の中で充実した生活を送っている。そんな彼のもとに、成人の自閉症にも効果があるかもしれない新薬の治験の話が持ち込まれる。
参加を断ることもできる。だが職場には微妙な圧力があり、もし拒否すれば部署そのものが縮小されるかもしれない。本書の大部分は、この治験を受けるべきかどうかをめぐるルウの内的独白に費やされる。大きな事件や派手な展開は少ない。その代わりに描かれるのは、ルウが世界をどう見ているかという、驚くほど繊細で誠実な感覚だ。
パターンを読むこと。言葉を文字どおりに受け取ること。ルーティンが崩れる恐怖。他人の感情を理解しづらくても、関係を築こうと努力すること。そうした描写には、著者である エリザベス・ムーン が自閉症の息子を持つ母親である経験が色濃く反映されている。外側からの観察ではなく、「内側から見た感覚」が丁寧に描かれていることが、本書の最大の魅力だ。
そして本書の中心にあるのは、「治療によって変わることは、本当に幸福なのか」というテーマである。
治療を受ければ、社会のいう「ノーマル」に近づける。いままで難しかったこともできるようになるかもしれない。しかしその一方で、ルウが持っていた独特の認知や、彼だけの世界の見え方は失われる可能性がある。「より良い自分」とは何なのか。この問いは、自閉症というテーマを超えて、自分を変えようとするときのすべての人間に向けられている。
しばしば『アルジャーノンに花束を』と比較されるが、両作は似ているようで大きく異なる。チャーリーが「変えられる存在」だったのに対し、ルウは「変わるかどうかを自分で選ぶ存在」だからだ。ルウには、自分の未来を選び取ろうとする強い意志がある。そのため本書は、単なる悲劇ではなく、「選択」の物語としての側面が強い。
本書は決して単純なハッピーエンドではない。それでも最後まで読むと、「くらやみの速さ」というタイトルの意味が、最初とは違う色を帯びて胸に返ってくる。そう、本書はタイトルそのものが伏線として機能する、誠実なSF小説なのだ。
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