yukisskk

ル・グィンが設計した異星社会は、いつも現在の人間に返ってくる——世界の誕生日

ル・グィンの思考実験は、設定の奇抜さそのものを競うものではない。男女比が1対16の惑星を描くのは、その社会で何が起こるのかを探るためであり、四人組で結婚する文化を描くのは、そのとき愛がどのように機能するのかを探るためだ。それでいて、どれほど大胆な設定も、最後には人間とは何かという問題へと収れんしていく。

巻頭には、著者自身による序文が置かれている。各作品の背景や執筆意図を語った文章で、ネタバレを避けながら作品の見どころを示してくれる。初読時には気づかなかった意味が、読後に読み返して初めて見えてくる箇所も多い。作家自身の序文がここまで読書体験を豊かにしている短篇集は珍しい。

「愛がケメルを迎えしとき」は、『闇の左手』と同じ惑星ゲセンを舞台にした成長譚である。性的に活性化する季節であるケメル期を迎えた若者を通して、性と愛の目覚めが描かれる。両性具有者の内側から語られるこの物語は、ル・グィンのジェンダーSFの核心へ触れる格好の入口だ。『闇の左手』を読んだ後に本篇を読むと、あの長篇がさらに深い作品として見えてくる。

本書のなかでも特に強い印象を受けるのは「セグリの事情」であろう。男女比が1対16という社会はどのような姿になるのか。その衝撃は大きい。ル・グィンは、人口比という単純な条件の変化が、権力や所有、暴力のあり方をどう変えていくのかを文化人類学者のような視点で描き出す。一見するとユートピアにも思える設定だが、本篇が示すのは、比率が変わっても人間の支配欲そのものは消えないという観察眼である。

「山のしきたり」は、男女四人組で結婚する社会を舞台にした恋愛譚だ。四人で成り立つ関係が揺らぎ始めるとき、「正しい愛」という概念がどれほど文化に依存したものであるかが浮き彫りになる。一方、「奥の寝室」や「怒り」は惑星設定を持たない現代的な作品で、ハイニッシュ・ユニヴァースを離れたル・グィンの、より私的で繊細な感情表現を味わうことができる。

巻末を飾る中篇「失われた楽園」は、本書の白眉と呼ぶべき作品だ。世代宇宙船を舞台に、何世代にもわたって恒星間を旅する人々の姿を描く。船内で生まれ、船内で死んでいく人々にとって、目的地への到着は必ずしも自分自身の物語ではない。人類が「旅そのものを生きる」とはどういうことなのかを、ふと考えずにはいられない。

本書に収められた作品の執筆時期は1994年から2000年。ル・グィンが70代に入ってからの仕事である。想像力は少しも衰えず、むしろ若いころの性急さが抜けた——円熟期のル・グィンを味わうのにふさわしい一冊である。



前の投稿
57歳の元宇宙飛行士が、最後の夢に賭ける——天の光はすべて星


コメント