yukisskk

奴隷解放は自由をもたらすのか、それとも別の抑圧を生むのか——赦しへの四つの道

奴隷解放は、かならずしも自由をもたらさない。

この命題が、本書全体を貫いている。舞台は、アーシュラ・K・ル=グウィンのハイニッシュ・ユニバースに属する惑星ウェレルと、その植民惑星イェオーヴェ。長く続いた奴隷制と、その後の解放戦争は、社会にも人々の心にも深い傷を残している。収録された4篇は、それぞれ異なる時代と視点からこの世界を描きながら、「赦し」とは何かを少しずつ違った角度からとらえている。

巻頭の「裏切り」は、初老の女性教育者ヨスと、かつて英雄と呼ばれた元政治家アバルカムの物語だ。互いを軽蔑していたふたりは、隣人として暮らすうちに、相手の弱さの中に自分自身を見いだしていく。ここで描かれる「赦し」は、他者を許すことではない。むしろ、自分で自分を責め続けてきた過去と、どう折り合いをつけるかという問題として示される。本書の主題は、すでにこの時点で明確に置かれている。

第2篇「赦しの日」は、本書でもっとも有名な作品で、ローカス賞を受賞している。エクーメンの使節として派遣された才気ある女性ソリーと、彼女の護衛を務める元兵士レイガ。ソリーはレイガを時代遅れの男だと見下し、レイガはソリーを規範を無視する異邦人として嫌悪する。だが、政治的陰謀の中で対立関係は少しずつ変化していく。人物同士の距離が変わっていく過程を丁寧に彫刻するような描写は、まさにル=グウィンらしい。読み終えたあとに残るのは、赦しとは相手を許すことではなく、自分が何者なのかを知り直すことだという感覚だ。

第3篇「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」では、エクーメンの使節ハヴジヴァが、イェオーヴェで女奴隷の訴えを聞くことになる。奴隷制の名残による階級差と、根深い男女差別が残る社会を、彼は単なる中立の観察者として見ることができない。自身もまた、故郷の慣習に縛られた存在だからだ。「問題は奴隷制を廃止することではなく、廃止したあとに何が残るか」というテーマが、この篇の中心にある。

第4篇「ある女の解放」は、ウェレルで奴隷の子として生まれたラカムの人生を、時系列に沿って描く作品だ。本書の中ではもっとも読みやすい構成でありながら、その内容は重い。奴隷解放は、かならずしも女性の解放にはつながらない。むしろ、社会のねじれが別のかたちで女性に重くのしかかってくる。その現実が、抑制の効いた文章で描かれていく。

4篇を通してル=グウィンが描くのは、制度が変わっても、人の内側にある支配の論理は簡単には消えないという事実だ。奴隷制そのものは廃止できても、その価値観を内面化した人々は、すぐには変われない。だから本書における「赦し」とは、被害者が加害者を許すことではない。傷ついた者が、自分の歴史を抱えたまま、それでも前へ進もうとする営みのことなのだ。

アルフレッド・クローバーを父に持つル=グウィンらしく、本書では人類学的な視線が強く機能している。異星文明の社会構造を観察するまなざしは、アメリカの奴隷制や植民地主義への批評とも重なって見える。1995年の作品でありながら、いまの読者にも届く広さを持った一冊。



前の投稿
月面の高校生が国家を運営する、これが青春ポリティカル活劇だ——月面スローンズ 王と制服


コメント