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地図に載った街は、実在するのか——非在の街

地図には、意図的な「嘘」が仕込まれることがある。

地図制作者たちは昔から、著作権侵害を見破るため、実在しない地名や街をこっそり地図に載せてきた。もし他社の地図に同じ架空の地名が載っていれば、盗用の証拠になる。この実在の慣習は「ペーパータウン」あるいは「トラップストリート」と呼ばれている。

本書は、この仕掛けから発想を広げ、「架空の街が本当に存在したら?」という世界を描く。

主人公ネルは、かつて将来を期待された地図学者だった。しかし7年前、ニューヨーク公共図書館で、高名な地図学者でもある父と深刻な衝突を起こし、業界を去ることになる。いまは古地図のレプリカを作る小さな会社で働き、地図学の世界から距離を置いて暮らしていた。

そんなある日、父の急死を知らされる。

遺品のなかには、一見すると何の変哲もない古い道路地図が残されていた。ガソリンスタンドで売られていそうな、ごく平凡な一枚だ。だがその地図は、なぜかあらゆる図書館や所蔵機関から姿を消していた。さらに、父の死の翌日に図書館へ現れ、煙のように消えた殺人犯も、この地図を狙っていたらしい。

ネルが調査を進めるうち、「カルトグラファーズ」と呼ばれる秘密結社の存在が浮かび上がる。かつて父と母も所属していたその集団は、地図に記された「存在しない街」の秘密を守り続けていた。

その街は、本来ならペーパータウンとして印刷された架空の場所のはずだった。ところが、地図に示された座標を実際に訪れると、たしかに街が存在する。もっとも、それを見ることができるのは「その地図を持つ者」だけだ。

本書では、地図は単なる紙ではない。現実と地図のあいだをつなぐ媒介として機能している。「非在の街」は地図の外では存在しない。しかし地図を携え、その場所を訪れた者の前には街が姿を現す。

この奇妙な設定が説得力を持つのは、作品全体に地図制作への深い知識と敬意が通っているからだ。地図学や図書館文化への細かな描写が、幻想的な物語に現実感を与えている。

もうひとつの大きな軸は、父と娘の関係である。ネルが地図の謎を追うことは、そのまま父がなぜ地図を隠したのか、7年前に何が起きたのかを知る旅でもある。幼いころに母を亡くし、父と地図に囲まれて育ったネルにとって、地図は単なる仕事ではない。その個人的な感情の重みが、物語のサスペンスを支えている。

訳は、安原和見。『銀河ヒッチハイク・ガイド』の翻訳でも知られる訳者らしく、細部の空気感まで丁寧に日本語へ移しかえている。2023年のミソピーイク賞の最終候補作ににもなり、全米ベストセラーにもなった話題作。地図や図書館が好きな人には、とくに強くおすすめしたい一冊だ。



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