原題は”Legends & Lattes: A Novel of High Fantasy and Low Stakes”。「ハイファンタジーで低い賭け金」という副題は、本書の性質によく合っている。
オークの女性ヴィヴは腕利きの傭兵だった。しかしある日、すべての武具を置いて仲間に別れも告げないまま戦場を去り、ファンタジー世界の中に珈琲店を開くことを決める。珈琲はこの世界ではまだほとんど知られていない飲み物で、最初の客は訝しみ、多くの人が口をつけることなく帰っていく。それでもヴィヴは厨房を整え、看板を作り、スタッフを雇い、一杯ずつ丁寧に淹れ続ける。
店員として集まってくるのは、ファンタジーの定番種族たちがそれぞれ型からはみ出した形で活躍する面々だ。センス抜群のイラストを描くサキュバスのタンドリ、焼き菓子の天才であるラットキンのシンブル、店舗を造作するホブの職人。彼らがそれぞれの得意を持ち寄り、ヴィヴの珈琲店を少しずつ形にしていく。種族のステレオタイプから外れた職能の組み合わせが意外性を生み、それ自体が読む楽しさになっている。
本書には「コージーファンタジー」という呼び方が使われることが多い。謎解きではなく日常の心地よさを前景化したコージーミステリの文法を、ファンタジーに持ち込んだジャンルだ。実際、ヴィヴの店が軌道に乗るまでの過程——物件を見つけ、内装を整え、メニューを決め、口コミが広がる——は、ほとんどカフェ開業小説として読める。作品を巡る反応や評価には「疲れたときに読める」「癒やし」といったものが多く見られるのもうなづける。
一方で、傭兵という激しい生を生きてきた主人公が穏やかな仕事を選ぶという構造には、読者を惹きつける深い仕事の軸がある。作者のトラヴィス・バルドリーはインタビューで、傭兵からカフェオーナーへの転身を描くにあたり、自身の経験や想いが色濃く反映されていることを示唆している。これが本書を単なる癒し系で終わらせない理由だと考える読者は多い。
ヴィヴとタンドリの関係が進展していく部分は、クィア/サッフィックなロマンスとして読める。押しつけがましさがなく、二人の距離の縮まり方がコーヒーが浸透していく速度とゆるやかに重なる。
もうひとつ注目したいのは、珈琲を最後まで受け入れない人間を誰も強要しない、という設計だ。ヴィヴの店はある種の人々にとっての場所になるが、全員にとっての場所ではない。その奥ゆかしさが、本書の居心地の良さを支えている。
日本語版と原著では表紙のトーンが大きく異なっており、ネット上ではそのギャップに触れる感想も見られる。どちらを先に知るかで読前の印象は変わるが、読後感は変わらない。疲れたときに手元に置いておきたい一冊だ。
コメントはまだありません。