「彼は、コーヒーの熱い液体を、くたびれた口から吐き出しながら、その味を愉しんだ」
この一文が本書の世界の論理をすべて説明している。時間が逆流しているのだから、食事とは食べ物を胃から取り出すことだ。タバコを吸うとは吸い殻に煙を吹き込むことだ。挨拶は「さようなら」から始まり「こんにちは」で終わる。
生者は若返り、死者は墓から蘇る時間逆流現象「ホバート位相」が発生した世界で、物語は動き出す。主人公のセバスチャンは墓堀り師で、土の中から蘇りつつある死者を掘り出すことを生業としている。ある日、著名なカルト教「エヴォリューム教会」の創始者ウィルバー・メリサーを掘り出したことで、三つ巴の抗争に巻き込まれていく。蘇ったメリサーを手元に置きたい現指導者のアン、彼を消そうとする消去局、そして彼を聖なる存在として崇めるローマ教会——それぞれの思惑がセバスチャンを翻弄する。
ディック自身は本作を「4人目の妻ナンシーと出会って最初に書いた小説」と位置づけており、「あのころは本当に幸せだった」と語っている。しかし幸福の裏に「この結婚が長くは続かないのではないかとの不安」が潜んでいたとも明かしており、その不安が本書の悲劇的な底流として染み出している。幸せの絶頂に書かれた小説が、喪失の予感に満ちているという逆説は、タイトルそのものだ。
時間逆行という設定の一貫性は、厳密に言えば破綻している。セバスチャンたちは普通に会話し、普通に行動する。「全員が逆再生で動いていたら会話は成立しない」という矛盾はディック自身も承知の上で、本書はSFの論理的な整合性より、時間が逆流するという感覚的な気持ち悪さと滑稽さを優先している。「まじめに時間逆行設定を考えると矛盾だらけだが、ディックのユーモア感覚として楽しめれば、それでOK」という読者評は的確だ。
ディックの数ある作品の中でも一二を争うクレージー度とも評される本書は、「ユービック」と並んで語られることが多い。現実の輪郭が溶け、何が本物かわからなくなる感覚——本書では閉所に閉じ込められた人物の恐怖が特に強烈で、閉所恐怖症の読者には覚悟が必要かもしれない。
1969年の発表、邦訳初版1983年。2020年の改訳版では小尾芙佐訳が現代の自然な語り口に改められており、旧訳を知っている読者にも読み直す価値がある。ディック入門としては「高い城の男」や「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が挙げられることが多いが、より狂気に近いディックを知りたい読者には、本書を推す。
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