2035年。三度目の有人火星探査ミッション中、激しい砂嵐によってクルーは撤退を余儀なくされる。その混乱の中で、植物学者兼機械工学者のマーク・ワトニーは行方不明となり、死亡したと判断される。しかし実際には、彼は火星にひとり取り残されながらも生きていた。
居住施設は無事。だが、次の探査隊が来るのは4年後。食料は足りず、地球との通信手段もない。不毛の惑星で、ワトニーは自分の知識と限られた物資だけを頼りに、生き延びる方法を探していく。
本書最大のおもしろさは、この「問題解決の連鎖」にある。
食料をどう確保するか。——火星の土に持ち込んだ有機物を混ぜ、じゃがいもを栽培する。
水をどう作るか。——ロケット燃料のヒドラジンを分解し、水素を取り出して燃焼させる。
直面する問題はどれも具体的で、解決策もまた具体的だ。「物理と化学は裏切らない」という前提のもと、ひとつずつ論理的に突破していく。その過程を読んでいると、読者自身も一緒に考え、試行錯誤している感覚になる。
物語の大半は、ワトニーの日誌形式で進む。この語り口がとてもいい。
本来なら絶望的な状況のはずなのに、彼の文章は妙に明るい。失敗すれば「これは不味い」とぼやき、うまくいけば「俺は最高の植物学者だ」と自画自賛する。そのユーモアは空元気ではない。死の恐怖を理解したうえで、それでも目の前の問題に向き合い続ける人間の強さとして機能している。
著者の アンディ・ウィアー はもともとプログラマーで、科学描写へのこだわりが徹底している。本書で描かれる物理・化学・軌道計算は非常に精密で、NASA関係者からも高く評価された。そのリアリティが、「これは本当に起こりうるかもしれない」という緊張感につながっている。
一方で、語り口そのものは驚くほど平易だ。難解なハードSFというより、「科学を使ったサバイバル小説」として読める。この読みやすさと科学的誠実さの両立こそ、本書が広く支持された理由だろう。
物語は途中から、地球側のNASAや仲間のクルーたちの視点も交えて進む。遠く離れた火星へ、必死に手を伸ばそうとする人々。その描写が入ることで、ワトニーの孤独がより際立ち、後半の大きな推進力になっている。
本作はもともとウェブで無料公開され、その後Kindleで自費出版されて話題となり、商業出版を経て世界的ベストセラーになった。さらに、リドリー・スコット 監督、マット・デイモン 主演で映画化され、邦題『オデッセイ』としても知られている。第46回 星雲賞 海外長編部門受賞。
アンディ・ウィアー作品の中でも、もっともシンプルで、もっとも純粋に「知恵で生き延びる楽しさ」を味わえる一冊だ。
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