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現実の上に現実が積み重なるとき、どちらが本物か——高い城の男

第二次世界大戦が枢軸国の勝利で終わってから十五年、世界はまだ日独二国の支配下にある。アメリカ西海岸は大日本帝国の占領地となり、ロッキー山脈以東はナチス・ドイツの版図に収まっている。かつての白人支配者たちは今や被支配者として生きている。

この設定だけならば歴史改変SFの定番で終わるが、ディックはその世界の内側に、もう一枚の虚構を差し込む。占領下のアメリカで、発禁ぎりぎりのベストセラー小説がひそかに流通している。題名は『イナゴ身重く横たわる』——その中で描かれるのは、連合国が勝利した世界だ。読者は枢軸国勝利の世界に生きながら、連合国勝利の世界を描いた本を読む登場人物たちを読む。この入れ子構造が本書の核であり、ディックの仕掛けがここにある。

物語は複数の視点を交互に切り替えながら進む。日本人の外交官田上、アンティーク商のチルダン、ユダヤ人工芸家のフリンク、諜報活動に巻き込まれるジュリアナ——誰一人、物語の「解決」へ向かって直線的に動かない。それぞれが易経(易占)を頼りにしながら、一歩一歩を選び取って生きている。実はディック自身も本書のプロットを易経で決めたとされており、物語の構造そのものがその偶然性に支配されている。だから読者も確かな地図を持てない。そしてその不確かさは、そのまま「本物と偽物の違いは何か」という本書の主題へとつながっていく。

そのテーマは、チルダンが扱うアメリカ製アンティークの価値をめぐる描写に、もっとも端的にあらわれる。彼にとって重要なのは、それが実際に過去を生き延びてきた「本物」であるかどうかという点だ。コレクターたちもまた、その「歴史」に価値を見出している。一方で、フリンクが生み出す工芸品にはその蓄積がないため、価値を持たないと見なされる。しかしこの論理は、やがて枢軸国が勝利したこの現実そのものへと向けられることになる。価値が「本物の歴史」によって決まるのだとすれば、彼らが生きているこの現実は、本当に「本物の歴史」の上に成り立っているのか。それとも、書き換えられた偽物にすぎないのか……

終盤でジュリアナが「高い城」に住む禁書の作者を訪ね、易経に問いを投げかけるシーンは、本書の哲学的な核として長く記憶に残る。易経は彼女に答えを返す。その答えが何を意味するか。読者はその問い自体を自分のものとして引き受けることになる。

ディック作品の中でも本書は比較的プロットが整頓されており、読みやすい。しかし読み終えた後に発露する「この世界」への不安感は、ディック作品の中でも随一の強度を持つ。1962年の発表以来、歴史改変SFの基準作として参照され続けてきた理由は、その不安がどの時代に読んでも更新されるからだと思う。



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