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目の前にある街を「見ない」ことで成立する社会の、殺人事件——都市と都市

東欧のどこかに、ベジェルとウル・コーマという二つの都市国家が存在する。両都市は同じ地理空間を共有しているが、そのあいだに壁はない。市民たちは幼いころから、相手の都市を「見ない」よう徹底的に訓練されている。同じ通りを異国の住民が歩いていても、その姿を認識してはならない。建物も人も、存在しないものとして扱う。この「見ないこと」によって二つの都市は成り立っており、意図的に相手の都市を認識する行為――<ブリーチ>――は重大な犯罪とされる。違反者が現れると、ブリーチと呼ばれる謎の組織がどこからともなく現れ、当事者を連行していく。

ある日、ベジェルの空き地で若い女性の死体が発見される。捜査を担当するボルル警部補は、調べを進めるうちに、遺体が実はウル・コーマから運び込まれたのではないかという疑惑に直面する。もしそうなら事件は二つの都市にまたがり、この社会の根幹を支える「見ないこと」の秩序そのものを揺るがしかねない。

本書の魅力は、この設定の驚くほど単純な発想にある。「目の前にあるものを見ない」というルールだけで、壁も軍隊もなく二つの国家が分離している。荒唐無稽に聞こえるが、ミエヴィルはこれを現実社会の比喩として機能させている。私たちも日常のなかで、路上のホームレスや都合の悪いニュース、隣人の苦境などを「見ないこと」にしている。本書の社会は、その無意識の習慣を制度として徹底した世界なのだ。だからこそ、奇抜な設定でありながら、読み進めるほどに不思議な現実味を帯びてくる。

もっとも、本書は設定だけで読ませる小説ではない。実際、物語の骨格はきわめて正統派のクライム・ノヴェルだ。グーグルが存在する現代東欧を舞台に、ボルルは汗を流しながら聞き込みを重ね、上司に報告し、官僚機構の壁にぶつかる。SF的な奇想はあくまで背景に退き、前面にあるのは刑事の地道な捜査である。その誠実な作劇が、ジャンルの枠を超えた高い評価につながった。

後半では、ブリーチという組織の正体が少しずつ明らかになっていく。そこでは本書の設定が持つ最も深い部分へと踏み込むことになり、「見ないこと」とは何なのかという謎が改めて読者へ突きつけられる。

2009年は『都市と都市』が出版された年として、SF史に刻まれるだろう――そんな評価も決して大げさではない。ヒューゴー賞、ローカス賞、世界幻想文学大賞、英国SF協会賞、アーサー・C・クラーク賞の五冠を達成。日暮雅通による名訳も作品の魅力を支えている。海外ではディック、チャンドラー、カフカの名が引き合いに出されることもある。ジャンルの枠を軽やかに越境する、チャイナ・ミエヴィルの代表作である。



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