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信仰と陰謀論は、どこで分かれるのか——スメラミシング

理由がほしい。物語がほしい。正義のヒーローが現れて、黒幕の悪事を暴き、世界を変える、そんなお話であってほしい。自分はその物語の登場人物でありたい。

本書の表題作から引かれたこの一節は、六篇すべてに通底するテーマだ。小川哲が「宗教をテーマにした短編集」と明言したこの作品集は、陰謀論も信仰も同じ根から生える植物として、等距離に観察する。

収録六篇は舞台も文体もジャンルも異なる。巻頭の「七十人の翻訳者たち」は古代を舞台にした歴史SFで、ヘブライ語聖書を70人の翻訳者が別々に作業したのに全員まったく同じ訳を完成させたという伝説の真偽を問う。奇跡か陰謀か、という二項対立が最後に崩れる瞬間の着地点が鮮やかだ。「密林の殯」は天皇の棺を運んだとされる京都・八瀬童子の末裔を主人公にした現代小説で、宅配業で働く「僕」の労働と信仰が絡み合う。

表題作「スメラミシング」は、SNSのカリスマアカウントを崇拝する覚醒者たちのオフ会を描くサイコサスペンスだ。陰謀論の信者たちを観察する「陰謀論ソムリエ」タキムラの視点で進むが、読み終えてから冒頭を振り返ると、小川哲が仕掛けたミスリードの精巧さに気づかされる。陰謀論を嗤う側の目線で語られているように見えて、実はその目線自体が疑われている構造だ。

「神についての方程式」は物理学と宗教の境界を問う数学奇譚で、〈ゼロ・インフィニティ〉という最後の宗教を軸に、計算結果がゼロや無限大になるとき物理学は神学に似た場所へ向かう、という着想が展開される。「啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで」は神が禁忌とされた惑星を舞台にしたSFで、合理主義の徹底が信仰とは別の問題を生む様を描く。「ちょっとした奇跡」は文明崩壊後の少年少女に残酷な使命が与えられる話で、唯一「宗教もの」の枠を外れた作品だが、集全体の余韻として機能している。

小川哲はインタビューで、人間の根本には「陰謀論的なものの見方」が潜んでいると語っている。個人的に、陰謀論なんぞ「頭のおかしい人たちの話」として消費できると思っていたが、本書を通じて疑問を感じずにはいられなくなった。信仰と陰謀論の違いは内実ではなく洗練の程度に過ぎないかもしれない。物語を求めること、意味を求めること、自分が物語の主人公でありたいという欲望——それは人間の条件だ、と本書は語る。

六篇のジャンルの振れ幅は、それ自体が批評だ。歴史SFから労働小説、陰謀論サスペンス、数学奇譚、惑星SFまで、どの器に盛っても「信仰」という問いは変形しながら現れてくる。発売翌日に即重版が決まり、様々な書評で絶賛されたのは、本書の持つ普遍性と、それをエンタメの水準で仕上げた技術の高さが正当に評価されたためだろう。



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