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美味しくなくても、食べることをやめられない——すばらしき新式食 SFごはんアンソロジー

8篇のうち、美味しい食事が登場する話はほとんどない。この事実だけでもおもしろい。出てくるのは、栄養はあるが不味いスープや、プラントで作られた無機質な野菜、感染者用の代用食、いわゆる囚人飯などだ。

本書は「グルメアンソロジー」と名乗りながら、むしろ食欲をそぐ方向へ進んでいく。ここには明らかな意図がある。食べることの本質は、美味しさではない。生きることへの執着や祈りにこそある、という視点だ。

収録作は次の8篇。深緑野分「石のスープ」、竹岡葉月「E.ルイスがいた頃」、青木祐子「最後の日には肉を食べたい」、辻村七子「妖精人はピクニックの夢を見る」、椹野道流「おいしい囚人飯」、須賀しのぶ「しあわせのパン」、人間六度「敗北の味」、新井素子「切り株のあちらに」。

巻頭の深緑野分「石のスープ」は、煮るだけで栄養満点のスープを無限に生み出す石を博士が発明するところから始まる。味はよくないが、飢えは防げる。上層部はこれを住民に配ろうとする。食べることが単なる栄養補給になったとき、それはまだ食事と呼べるのか。不味さそのものが抵抗になるという逆説が鮮やかだ。

竹岡葉月「E.ルイスがいた頃」は、月で育った少女が地球で祖父と暮らす話。プラント食品しか知らなかった少女が、土から育った野菜を口にする。その体験がていねいに描かれる。SFの設定が、食の原点を見つめ直す装置としてうまく機能している。祖父との関係の変化も、食への感覚の変化と重なっていく。

青木祐子「最後の日には肉を食べたい」は、脳に寄生する肉食種族ルカとともに生きる美宇の物語。ステーキ店で働きながら、宿主と寄生体が肉への愛を共有するというユーモラスな設定が、終盤で思いがけない展開へつながる。

辻村七子「妖精人はピクニックの夢を見る」は、代用食と隔離が当たり前になった社会が舞台。隔離された男のもとに訪れる出来事を描く。社会へのまなざしが感じられる一篇だ。

巻末の新井素子「切り株のあちらに」は、地球を離れた少女が広大な刈田の向こうにある国営の食料貯蔵庫を見つめる場面から始まる。語りのぬくもりと、宇宙規模の食料問題という大きなテーマが同時に存在する。個人の食べるという意志が、どれほど大きな文脈の中でも意味を持つのかを示して締めくくる。

そうして読み終えたときに残るのは、美味しいものへの欲求というよりも、食べるという行為そのものの意味だ。

集英社オレンジ文庫というレーベルの特性もあり、SFにあまりなじみがない読者でも手に取りやすい一冊。読後にはきっと、誰かと食卓を囲むとはどういうことかを、あらためて考えたくなる。



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