本書は1950年代末から60年代初頭にかけて書かれた二篇を収める。どちらも推理小説やスパイ小説の衣をまとっているが、解決は来ない。謎は解かれず、目的は示されず、読者は不確かな霧のなかを主人公とともに歩き続ける。それがレムの意図であり、この二篇の核心だ。
「捜査」は、冬のイギリスを舞台にした変則的なミステリだ。各地の死体安置所で死体が消える。最初は姿勢が変わるだけだったが、やがて跡形もなく消失するようになる。スコットランド・ヤードのグレゴリー警部補が捜査を引き受けるが、犯人も動機も手がかりも見当たらない。統計的アプローチで事件のパターンを浮かび上がらせようとする試みは、奇妙な相関は示すものの、真相には届かない。
推理小説とは謎が解かれるジャンルだ。しかしレムは最初からその約束を破るつもりで書いている。グレゴリーを苦しめるのは、事件の不可解さそのものより、「解釈が成立してしまうこと」の恐怖だ。どんな仮説でも、選ばれたデータを眺めれば一定の説明がつく。統計と論理が真相を照らすどころか、現実の輪郭を溶かしていく。これは認識論的な問いであり、人間が「世界を理解した」と感じるとき、その理解がどこまで信頼できるかを問う小説として読める。
「浴槽で発見された手記」は、さらに奇妙な入れ子構造を持つ。3000年前に持ち帰られた謎の因子が地球全体で紙を分解し、記録と知識のすべてが失われた。未来の考古学者たちは長年の調査の末、ロッキー山脈の地層下に埋もれた巨大地下建造物から奇跡的に保存された手記を発掘する。『新第三紀人の記録』と名付けられたこの手記に記されているのは、〈私〉がその建造物のなかをさまよい続ける経緯だ。命令を受けるが目的は告げられない。上司に会いに行けば別の指示が来る。誰が敵で誰が味方かもわからぬまま、廊下から廊下へと歩き続ける。
カフカの城を思わせる構造だが、レムの視線はもう少し乾いている。官僚機構の不条理をからかうユーモアが随所にあり、ポーランドの同時代作家スワヴォーミル・ムロージェクの諷刺劇との近さも感じさせる。しかし最終的にこの小説が問うのは、命令と目的と意味の連鎖が断ち切られたとき、人間は何に向かって動くのか、という問いだ。慈悲のない世界とは残酷な世界ではなく、慈悲という概念が存在しない世界のことである、という指摘が読者の背筋を静かに冷やす。
二作には共通する感触がある。読後のもやもやは不満ではなく、ジャンルの地図が使えなくなったときの、地に足のつかなさだ。「捜査」は解決を与えないことで推理小説を、「浴槽」は目的を与えないことでスパイ小説を解体する。そしてどちらも、その解体の先に、人間の認識と意味の問いを据えている。
国書刊行会スタニスワフ・レム・コレクション第II期の一冊として2024年3月に刊行された本書には、沼野充義による解説「推理と不条理——SFに収まり切らないレム作品の多彩さ」が付されており、二作の位置づけを理解する助けになる。
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