12歳の誕生日を過ぎてまもなく、ぼくはいつも幸せな気分でいるようになった。
神経系の異常により脳内の幸福物質が過剰分泌されるようになった少年は、両親の必死の治療の末に「普通」の状態に戻される。だが、そのとき彼は幸せを感じなくなる。技術的に操作されていたとはいえ、あのとき感じていた幸せは本物だったのか。そして「本物の幸せ」とは何を指すのか。表題作「しあわせの理由」が叩きつけるものは、全編の基調をなす。
グレッグ・イーガンのハードSFは難解なものがあるが、本書はその入り口として最も手頃な一冊だ。全9篇の多くが現代に近い時間軸を舞台にしており、専門知識がなくても触れやすい構造になっている。ただし「届く」と「楽に読める」は別で、各篇は読み終えた後に読者の常識をひとつずつ破壊していくだろう。
巻頭の「適切な愛」は電車事故で身体を失い脳だけが助かった夫を、妻が子宮の中で2年間保ちながらクローン体の完成を待つ話だ。設定を聞いた瞬間は荒唐無稽に思えるが、読み進めるにつれてその奇妙さより、「愛する相手とは何か」という重みが前に出てくる。脳が別の身体に移った夫は同じ人間なのか。妻の体内で保たれた期間に二人の関係は何に変容したのか。考えさせられるところが多い。
「道徳的ウイルス学者」は特定の性行為をした者だけを殺すウイルスを開発した科学者の話で、設定の倫理的な目眩に加えて、自分の設計した論理の穴に自ら気づく展開が滑稽だ。「チェルノブイリの聖母」は放射能汚染地帯で奇跡を求める人々を追う探偵小説の形式を借りながら、信仰と合理主義の対立を一人の男の内側で描く。上の引用はこの篇からで、イーガンの作品群の中では珍しく現代の地名が冠された、比較的感情の温度が高い一篇だ。
最も読者を選ぶのが「ボーダー・ガード」だ。ローカス賞を受賞したこの篇は、人類が死を克服した遠未来で、量子サッカーという競技に参加する男を描く。量子サッカーの描写を理解しようとすると相当な数学的背景が必要だが、前半の量子論的な記述を意味として把握せず読み飛ばしても無問題。死を超えた先に人類は何を失い何を残したのか。という謎が最後に現れたとき、量子サッカーの描写が別の意味を持って見えてくる。
解説者はイーガンの小説を「哲学小説」と定義している。愛、信念、信仰、自由意志、アイデンティティ、生と死。これらの要素にSFという形式が最も鋭く切り込める理由を、9篇を読み終えるころには身をもって理解できる。本書が20年以上経た今もイーガン入門の定番として挙げられ続けるのにも納得の一冊。
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