独裁政権が科学を嫌うのはなぜか。事実が、ドグマに従わないからだ。アドリアン・チャイコフスキーの Alien Clay(2024年)は、その命題を極限まで押し進めたSFだ。そして読み終えると、そこに書かれていたのは異星の話ではなく、今この時代の話だったと気づく。
語り手は生物学者アートン・ダグデフ。専門は生態学で、かつては地球の大学で研究に打ち込んでいた。問題は、彼の研究が「マンデート」——地球を支配する全体主義的政府——の世界観と相容れなかったことだ。マンデートは人類を進化の頂点と位置づけ、その秩序を揺るがす知見を「思想犯罪」として弾圧する。ダグデフは同志とともに抵抗運動に加わり、やがて逮捕され、太陽系外の流刑惑星キルンに送られる。帰還の見込みはない。
キルンで彼を待っていたのは、想像を絶する生命圏だった。地球の生物学の前提がことごとく通用しない。個体という概念が曖昧で、生物同士が互いに細胞を交換しながら共生し、境界を溶かし合いながら生きている。ダーウィン的な競争原理ではなく、協調と融合によって成立している生態系——それがキルンの論理だ。マンデートはこの惑星を支配下に置こうとするが、キルンの自然は組織の命令などまるで聞かない。人類が進化の頂点だと主張する政府が、自分たちの論理を受け付けない世界に放り込まれるという構図が、痛烈な皮肉として機能している。
チャイコフスキーは心理学と動物学を学んだ作家で、生物の知性と進化をテーマにした作品を多く書いてきた。『タイム・チルドレン(Children of Time)』で蜘蛛の知性社会を描いたときと同様、本作でも「人間とは異なる知性のあり方」への想像力が全開だ。ただ Alien Clay がそれ以上に刺さるのは、異星生物の奇妙さをハードSF的に楽しませながら、その奇妙さを全体主義批判の道具として使う二重性にある。権威主義とその崩壊を「専制と自然界との対立」として描く本作という評が的確で、この小説の核心はそこにある。
ダグデフの語り口も特徴的だ。皮肉屋で、理想主義を恥ずかしいと思っていて、自分がどこまで信念のために動いているのか自分でもよくわかっていない。それでも動き続ける——その矛盾が、収容所という極限状態でじわじわと剥き出しになっていく。彼の革命への態度の変化が、キルンの生態系への理解と並行して深まっていく構造が巧みだ。
2025年ヒューゴー賞最終候補、フィリップ・K・ディック賞特別賞受賞。チャイコフスキーは2024年に本作を含む複数の長篇を刊行しており、その多産ぶりと質の高さは現代SFの中でも突出している。
現時点で邦訳はない。『タイム・チルドレン』シリーズを読んでいる方なら同じ著者の語り口にすぐなじめるはずで、そちらを未読の方にとっても本作は入口として十分な密度がある。ディストピアSFが好きで、かつ生物学的な世界観に興味がある人には特に薦めたい。
権力は、自然には勝てない。その事実はキルンでも地球でも変わらない。
本作は現時点で日本語訳が出ていません。
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