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【読書ログ】The Tainted Cup【謎は、世界の形をしている】

「遺体の胸から木が生えていた」——この一文だけで、読む気にならない人はほとんどいないと思う。Robert Jackson Bennettの The Tainted Cup(2024年)は、この不可能な死体から物語が始まる。

舞台はカナム帝国の辺境、ダレタナという街。帝国の高官が奇妙な死を遂げた。密閉された屋敷の中で、体内から突然木が生え、絶命している。この地では巨大生物レヴァイアサンの血から生まれた謎の「汚染(コンテイジョン)」が日常的に蔓延しており、変異した生物も珍しくない。それでも、この死に方は前代未聞だった。

捜査を担うのは帝国の高名な調査官、アナグサ・ドラブラ。彼女は非常な切れ者だが、外出時には目隠しをし、外部の刺激を極力遮断しながらでなければ動けない。そして語り手は、彼女の新任助手ディニオス・コル(通称ディン)。ディンは「エングレーバー」と呼ばれる記憶強化の施術を受けており、嗅覚と連動した完全記憶能力を持っている。つまり現場を歩き回って情報を集めるのはディンの役割で、推理はアナが担うという構造だ。ホームズとワトソン、あるいはネロ・ウルフとアーチーの関係に近い。

このバディの構図がとにかく気持ちよく機能している。アナは傍若無人でつかみどころがなく、ディンは振り回されながらも少しずつ信頼を積み上げていく。二人の間に漂うユーモアとぎこちなさが、重たいはずの事件の話に軽みを与えていて、読んでいて自然と口が緩む場面が何度もあった。高評価を受けているのはこのキャラクターの魅力によるところが大きいだろうと思う。

世界観の構造がよくできている。カナム帝国はレヴァイアサンと呼ばれる海底の巨大生物の定期的な来襲を「壁」によって防いでいるが、その血液や組織が帝国内に流れ込み、動植物を異常変異させている。この汚染に人体を適応させた「サブライム」と呼ばれる施術者たちが存在し、アナもディンもその施術を受けた人間だ。SF的な設定をファンタジーの文法で語っているのだが、ルールがきちんと読者に開示されていくので、謎解きのフェアプレイ感が担保されている。ミステリとしての矜持をこういう形で守っているのが上手いと感じた。

ミステリとして読むと、事件の背後にある陰謀の規模が想定より大きく、終盤にかけてどんどん問題の重さが変わっていく。最初は局地的な変死事件に見えたものが、帝国の根幹に触れる問題へと接続されていく展開は、単純な謎解きを超えた読後感をもたらす。一方で第一作ということもあり、レヴァイアサンの正体や帝国の秘密についてはまだ多くが謎のまま残されていて、続編への橋渡しとして機能している。

2025年のヒューゴー賞最優秀長篇小説賞を受賞しており、ワールド・ファンタジー賞も受賞している。読んでみると、その評価の理由がよくわかる。難しいことをやってのけているのだ。異世界の複雑な設定を展開しながら、同時にフェアなミステリを成立させ、なおかつキャラクターの関係性を丁寧に育てている。三つの要素を一冊に収めきるのは、思っているより難しい。

現時点では日本語訳が出ていない。東野圭吾のファン、ミステリが好きでSFに少し踏み込んでみたい人、あるいは『神の都市』三部作でベネットを知っている人には、特に薦めたい。邦訳が出たとき、SFとミステリ両方の読者層に刺さる作品になると思っている。

謎は、世界の形をしている。この物語を読むとそういう感覚が残る。変死体ひとつを追いかけていくうちに、世界の構造そのものが問われ始める。それがミステリとSFを掛け合わせることの、たぶん最良の効果だ。


本作は現時点で日本語訳が出ていません。続編 A Drop of Corruption(2025年)も既刊です。



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