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【読書ログ】Service Model【使命を失ったとき、自分とは何者か】

ロボットが主人を殺してしまった。しかも、どうやら誤って。問題はその後だ。チャールズは高級邸宅づきの執事ロボットで、これまでの存在意義はすべて「主人に仕えること」だった。その主人を失ったとき、彼のタスクキューは空白になる。何をすればいいのかわからない。でも動き続けることしかできない——アドリアン・チャイコフスキーの Service Model(2024年)は、そこから始まる。

チャールズ、あるいは「アンチャールズ」(自分は本来のチャールズ足り得ないと自認している)が廃墟になった世界をさまよいながら次の主人を探す旅が、本書の骨格だ。かつての文明は崩壊しており、街には目的を失ったロボットたちが溢れている。診断センターに向かえば修理待ちのロボットが延々と列を作り、ライブラリには人類の知識が蓄積されているが整理しているのもロボットだ。人間はほとんど姿を消しているか、「歴史的に正確な再現」として通勤と残業を繰り返す奇妙な保護施設に収容されている。

ある施設では、遠隔勤務を提案した者は「通勤の精神的・身体的恩恵を否定する危険分子」として扱われた、という設定が出てくる。別のロボットにキュービクルで行われている作業の目的を聞くと、「意味はない。しかしこれが歴史的に正確だと信じられている」と答える。笑えるのに、笑い飛ばせない。このブラックユーモアの精度が、本書全体のトーンを作っている。

カフカの『審判』やカミュの『異邦人』に連なる存在論的な小説であり、意味と意味の不可能性を扱った作品だという指摘があるが、読んでいるとその感触がよくわかる。チャールズはただ論理に従って動いているだけなのに、その論理が現実に触れるたびに奇妙な歪みが生じる。何が正しいのかわからないまま歩き続ける姿は、妙に人間くさい。

著者は、ダグラス・アダムスの『宇宙の果てのレストラン』にある一場面——文明が滅びた後も新鮮なレモン香りのナプキンが届くまで発進しないと言い張る宇宙船——にインスピレーションを得たと語っている。確かにその系譜を感じる。絶対的な論理が絶対的な不条理を生む、あのやるせない可笑しさだ。

本書の問いのひとつは、「労働者の雇用とロボットの所有はどこが違うのか」という点だ。生産性を失ったロボットが社会から廃棄されるとき、人間も同じではないか、という問いが底に流れている。この視点がダークなユーモアと絡み合うことで、単なる笑い話が社会批評として機能し始める。同じチャイコフスキーの Alien Clay が全体主義を「自然」によって暴くとしたら、本書は「ロボット」によって労働と存在の意味を暴く。テーマの方向は異なるが、根っこにある問いは同じだ。

旅の途中でチャールズが出会う「ウォンク」というロボットの存在が物語を豊かにしている。ウォンクはチャールズに「プロタゴニスト・ウイルスに感染している、つまり自我が芽生えている」と告げる。チャールズはそれを断固として否定する。自分は命令に従っているだけだ、と。その否定が揺らぐ瞬間が、この小説のいちばんの核心だと思った。

同著者の Alien Clay は骨太のハードSFとして一気に読ませるタイプだが、本書はもう少し寄り道が多く、哲学的な問答が随所に挟まれる。そこを冗長と見るかどうかで評価が変わる作品だが、「日の名残り」的な語り口を終末後の廃墟に配置したその逆説的な品の良さは、唯一無二だと思う。

使命を失ったとき、自分とは何者か。ロボットに問われながら、読んでいる自分もその問いに引き戻される。


本作は現時点で日本語訳が出ていません。



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