夢を見るロボットというアイデア自体は珍しくない。だがラヴィ・ティドハーの『ロボットの夢の都市』が描くのは、それよりもう少し静かで、もう少し哀愁を帯びた何かだ。かつて一夜で都市ひとつを滅ぼした戦闘ロボットが、長い眠りから目覚めて砂漠の街をさまよっている。その姿が、読み進めるうちじわじわと胸に刺さってくる。
舞台は太陽系大戦から数百年が経ったネオム。現実のサウジアラビアが建設を進める都市と同じ名前を持つこの場所は、未来においても砂漠の中の巨大都市として描かれている。市場で働くマリアムという女性、宇宙への脱出を夢見て砂の中のガラクタを漁る少年サレハ、そして移動隊商宿とともに砂漠を旅する別の少年。三人の物語が別々に動き出し、やがて一本の線にまとまっていく。
この小説が他のSFと少し違うのは、読んでいるときの「速度」にあると思う。情報を次々と展開する種類の小説ではなく、砂漠の情景や市場の空気、ロボットたちの言葉をゆっくりと積み重ねながら進んでいく。砂漠の上空にソーラー・カイトが舞い、大型ロボットが移動隊商宿を牽引し、ヘビ型ロボットとヤギが砂を踏む——そういう情景描写に立ち止まりながら読むと、この小説の質感がよくわかってくる。
登場するロボットたちがとても人間的なのも印象に残った。彼らは過去の戦争の記憶を持ち、神について問い、愛について語る。戦争を生き延び、長い時間をかけて何かを探してきた存在の言葉として、その重みは独特だった。SF的な設定の中にいるのに、どこか民話や叙事詩の語り口に近い。被造物が意志と感情を持ち、神を問う——その構図はフランケンシュタインの系譜でもあって、ティドハーはそこに砂漠の光景と未来の神話を重ね合わせている。
著者のティドハーはイスラエル生まれで、南アフリカ、ラオス、バヌアツなどを転々としてきた経歴を持つ。そのせいかどうか、この小説には「どこでもない場所」の感覚がある。ネオムという実在の地名を舞台にしながら、物語はそこに根付くというより、砂漠のキャラバンのようにどこかへ向かって動き続けている。定住しない物語とでも言えばいいか。終盤の情景はとりわけ圧倒的で、読み終えてしばらく、頭の中にその光景が残り続けた。
著者自身があとがきで特に気に入っている未来史としてコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》シリーズを挙げている。確かに読んでいるとその影響を感じる場面がある。オーソドックスなSFのリアリズムとは少し違う論理で世界が動いていて、因果よりも詩情の方が優先されているような瞬間がある。それが好きかどうかで評価は分かれるかもしれない。ただ、そのあいまいさの中にこそ、この小説の豊かさがあると思う。
夢を見るためには、何かを失った時間が必要なのかもしれない。長い眠りから覚めたロボットが砂漠を歩きながら何かを探している——その像が、読み終えてもしばらく頭から離れなかった。
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