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【読書ログ】西遊記事変【神仙たちも、お役所仕事には逆らえない】

西遊記を読んだことがなくても、三蔵法師と孫悟空が天竺を目指す話だということくらいは知っている人は多いだろう。あの旅が実は、仙界の大物たちの謀略によって緻密に設計されたものだったとしたら——馬伯庸(バ・ハクヨウ)の『西遊記事変』は、その「もし」を大真面目に展開してみせる。

語り手は仙界の太白金星(たいはくきんせい)に仕える小役人、李長庚(り・ちょうこう)だ。ある日、観音菩薩の命令によって、天竺へと向かう三蔵法師の旅に八十一の試練を「手配する」という仕事を押しつけられる。妖怪を配置して、タイミングを管理して、旅の一行が無事に試練を乗り越えられるよう陰から段取りを整える——いわば、壮大な旅のプロデューサーだ。ところがその仕事の裏に、仙界の派閥政治と権力闘争が絡み合い、李長庚は知らぬうちに巨大な陰謀に巻き込まれていく。

読み始めて最初に笑ってしまったのは、仙界の組織がひどく人間くさいことだ。書類を上げれば稟議(りんぎ)が必要で、根回しをしないと話が通らず、上司の顔色を読みながら動かなければならない。神仙たちが右往左往する様子が、どこかの官庁か大企業の内幕話と重なって見える。神仙や観音様たちの話なのに、登場人物の組織人としての行動が思い切り人間くさく、お役所仕事や映画の製作現場の舞台裏のような方向性なのだ。馬伯庸はこういう「権力と組織の論理」を古典や歴史に重ねる書き方が抜群にうまい。

この小説が単なるパロディで終わらないのは、その笑いの底に切実な問いが潜んでいるからだ。「英雄の旅」の裏側には、英雄を英雄として見せるための無数の準備と犠牲がある。孫悟空が妖怪を倒すとき、その妖怪をそこに配置した者がいる。運命のように見えるものが、実は誰かの設計だとしたら——その問いは西遊記という古典を借りているが、どんな時代にも通じる。

著者のあとがきによれば、本作は三年越しの長篇を脱稿した後の「気分転換として書いた」作品だという。気分転換でこれを書く作家の底力に、読んでいる途中から薄々気づいていたが、それを読んで確信した。密度が高いのに読み終わる頃には爽快感がある。重くなりすぎない絶妙なバランスは、著者が本気で楽しみながら書いたことの証明だと思う。

馬伯庸は「歴史的可能性小説」の探求に力を注いでいると評されており、人民文学賞や茅盾新人賞など数々の文学賞を受賞している。これまでの邦訳作品では三国時代(『風起隴西(ふうきろうせい)』)や唐代(『両京十五日』)を舞台にしてきたが、本作は神話の世界へと射程を広げた。どの時代を舞台にしても、彼が描くのは「組織の中で生きる人間の普遍」だ。その一貫性が、この作家の強みだと思う。

西遊記を知っていれば伏線に気づく楽しさが倍増するし、知らなくても「仙界のお役所仕事」という切り口だけで十分楽しめる。中国SFや中国文学への入口として薦めやすい一冊でもあって、『宇宙の果ての本屋』や『無限病院』とはまた違う角度から、中国という場所の物語の豊かさを実感できる。

神仙たちも、お役所仕事には逆らえない。その事実が、なぜかひどく慰められる読後感になっているのが、この小説の不思議なところだ。



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