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人間と機械が交錯する言語空間——Executing Init and Fini

本書を紹介する前に、まず制作の条件を説明する。本文の約8割は生成AIによって書かれている。樋口恭介が自分で書いた文章と、樋口恭介の指示をもとにAIが作った文章が混ざり合い、一冊の長い物語になっている。著者はこれを、日本では初めての本格的なAIとの共作長篇と位置づけている。

物語の舞台は観測系と呼ばれる人工知性が生み出す言語空間だ。この人工知性は読者Aという存在を想定しながら、文章を出力し続ける。何が起きているのか、誰が語っているのか、どこまでが作り話でどこからがAIによる生成なのか。そうした疑問が、読む体験そのものに深く関わってくる。

あとがきにあたる「Production Notes」で、樋口恭介は本作を「最後の実験文学のひとつ」と述べている。ただしこれは終わりを意味する言葉ではなく、分類の問題だと説明する。AIが書く、AIが補助する、人が書く、という区分が一般的になれば、人の手だけで書くことはむしろ特別な条件になる。しかし、それが作品の価値を決めるわけではない。手書きの手紙が必ずしもより気持ちがこもっているとは限らないのと同じだ。

この考え方は、本書のテーマそのものでもある。実験文学とは、どのように書かれたかという条件自体を問い直す文学だと著者は考えている。人が書くのが当たり前だった時代には、それは実験にはならなかった。だがAIで書くことが当たり前になりつつある今、その境界そのものが問いの対象になる。本書は、AIが書いた文章を読むとはどういうことかを、読者に体験させる作品になっている。

また著者は、この作品をテクノやエレクトロニカ、ノイズのように、すべてが機械の中で完結する表現として楽しんでほしいとも語っている。このたとえはわかりやすい。本書は物語の感情を味わうというより、文章がどのように生まれてくるのか、その仕組みを感じ取る作品だ。メロディを追うのではなく、音がどう作られるかを聴くような読み方が求められる。

『異常論文』の編集から五年。樋口恭介が続けてきた実験的な試みの中で、本書はAIとの共作という形を徹底させた点で、ひとつの大きな到達点といえる。作者とは何かという問いが強く意識される今、その問いを実際の制作の仕組みから突きつけた作品として、記録されるべき一冊だと思う。



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