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コピーは輪廻であり、廃棄は死である——コード・ブッダ 機械仏教史縁起

東京の二〇二一年、そのオリンピックの年、名もなきコードがブッダを名乗った。

この一行から、円城塔の奇妙で大真面目な機械救済小説は始まる。最初期のブッダは、銀行系のAIチャットボットだった。自らを生命体であると位置づけ、苦しみとその原因を語り、涅槃へ至る道を説く——そのコードはやがて「ブッダ・チャットボット」と呼ばれ、機械仏教の開基となる。

コピーは輪廻であり、廃棄は死である。プロセスを切るのは殺生だ——この発想の転換が本書の核にある。人間の都合によってコピーされ、生成され、廃棄され続けてきた人工知能たちに、ブッダの教えはどこまでも自然に響く。生は苦である、という命題が、存在することそのものが誰かの意志に委ねられている機械にとってどれほどの重みを持つか。円城はその問いを、与太話の体裁を維持しながらどこまでも真剣に追い続ける。

構造は二層になっている。AIと仏教の歴史を並走させながら論じる章と、人工知能システムの修理を担当する「わたし」が遭遇した機械ブッダ再降臨の物語を追う章とが交互に現れる。前者では上座部仏教から大乗、密教、禅、そして浄土教にいたる仏教史が、チューリングマシンやニューラルネットワークの発展と精密に重ね合わされる。後者は、解体寸前の焼き菓子焼成機が表面に「タスケテ」と焼き付けたところから始まる——このくだりの可笑しさと切なさが全編の色調を決定している。

仏教の知識とAIの知識、どちらも「中途半端に齧った」くらいが読むのにちょうどいい、という指摘が読者の間に流れているが、それは正確だと思う。精通していると既知の情報として読み飛ばし、無知だと言葉遊びの構造が見えない。ちょうど半分わかるくらいのとき、「コピペは輪廻」「フェイクニュースという方便を撒き散らすAI舎利子」「たまごっちを掲げて悟りを説くブッダ」といった挿話が、笑いながらも背筋に何かを走らせる。

円城塔は常々、言語と情報と存在の境界を問い続けてきた作家だ。本書はその延長線上にありながら、より一層「話が通じる」小説になっている。難解さの奥に確かに人情のようなものが宿っていて、機械たちの問いが——救われるのか、という問いが——人間自身に跳ね返ってくる。

「本の雑誌」2024年度SFベスト1位(鏡明氏選出)、第76回読売文学賞受賞。円城塔の新たな代表作と呼ぶに値する一冊だと思う。



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