著者・松崎有理が本書のコンセプトとして掲げたのは「ディストピア×ガール」だという。絶望的な世界で戦う女たちを描く。その宣言のとおり、六篇それぞれに「試練の世界」と「それを乗り越えようとする女」がいる。コミカルに見えて芯が硬い、松崎SFらしい短編集だ。
巻頭を飾る「六十五歳デス」は、すべての人間が65歳前後に遺伝子レベルで死ぬよう設定された世界を舞台にする。64歳の帚木紫は、スリの少女・桜を手元に引き取り、違法な医療行為で生計を立てながら残り少ない時間を生きる。かっこいいおばあさんを書きたかったと著者はあとがきで言うが、紫は64歳にしてハードボイルドの主人公の風格を備えており、六篇のなかで最も多くの読者が引き込まれる一作になっている。
「太っていたらだめですか?」は、健康至上主義の政府がBMIを理由に解雇された女性をデスゲームに送り込む話だ。血なまぐさい設定でありながらスラップスティックのテンポで読ませ、女性三人のタッグが成立する瞬間に妙な爽快感がある。「異世界数学」は、数学嫌いの女子高生が数学を禁じた王国に飛ばされ、数学の本当の面白さに出会う話。ヒルベルトのホテルなどの数学的着想が物語に有機的に組み込まれており、ハードな知識を軽い筆致で運ぶ著者の腕が光る。
「秋刀魚、苦いかしょっぱいか」は近未来の小学生が夏休みの自由研究で失われた秋刀魚の味を再現しようとする話で、六篇のなかで最も地続き感がある。秋刀魚が絶滅危惧になりつつある現在に読むと、笑いながら心がかすかに痛む。「ペンローズの乙女」はフェルミのパラドックスを発端に、孤島の少女と漂流少年の初恋から宇宙規模の時間軸まで一気に広げる野心作。スケールの振れ幅が大きく、読みこなすには集中力がいるが、最終行の余韻は六篇中もっとも長く残る。
表題作「シュレーディンガーの少女」は、Zウイルスが蔓延する渋谷を舞台に、感染した少女が量子力学の多世界解釈と重なる選択を迫られる。「シュレーディンガーの猫」という思考実験が意味するもの——観測されるまで生と死が重ねあわさった状態にある——をそのまま人間の決断に接続する構造で、ガール・ミーツ・ガールAIの側面も持ちながら、読後に奇妙な宙吊り感を残す。腹落ちしないまま終わる、という感想が多いが、それは意図された設計だと思う。
六篇はそれぞれ舞台の異なるディストピアを描きながら、「モラヴェック」と呼ばれるモバイルAIが共通して登場し、掌の形の痣や印がくり返し現れる。これらの世界がマルチバースとして緩やかに接続されているらしい気配があり、読み返すほどに引っかかりが増える仕掛けになっている。著者は東北大学理学部出身の理系作家であり、量子力学やブラックホール物理などの着想が物語の骨格として機能している。理系的な論理と、女性たちのしぶとさとが噛み合うとき、松崎SFの手触りが生まれる。
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