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猫宮春香は虹色の夢を見る 第7話

 お鍋で湯を沸かしているうちに、ほうれん草を水道でよーく洗い流して、お湯が沸騰してきたら塩をスプーン山盛り一杯分いれ、ほうれん草を一分ほど茹でます。急冷したほうが色落ちしなくていいのですね。なるほどです。氷水をボールの中に入れたら、茹で上がるまで少々待ちます。おいしくなれですよー、おいしくなれですよー。茹で上がったほうれん草の粗熱を氷水でとったら、軽く絞って五センチ幅に切り、もう一度ぎゅっと絞ります。それをプラスチックの保存容器にいれてと、次に、カツオと昆布のだし、濃口醤油、みりんを適量まぜて一旦味見。うん、完璧です。できた調味液を容器の中に移していきます。後は冷蔵庫に入れて味が染み込むまで待ちましょう。

 次に、お魚さんの調理に戻るですよ。魚の表面をキッチンペーパーでよく拭いてあげて、予め温めておいたフライパンに、キッチンペーパーをしき、その上にお魚さんを置いて焼いていきます。程よく白くなったら身を裏返し、蓋を閉めたらもうひと踏ん張り。じゅーという音と共に、良い匂いが漂ってきますよ。じゅるり。蓋を開けて身をひっくり返したら、両面を軽く焦げ目がつくくらいにしっかり焼いて、身に残った水分を飛ばしていきます。できた。お皿に盛り付けてと。

 最後にお味噌汁をつくります。豆腐を掌に乗せて、さいの目状に上下に切って一旦お皿に置いておきます。長ネギは白いところの根っこの部分を取ってあげて、端の方から一定の幅で切っていきます、乾燥わかめは水で戻してから、水気を切ってと、これで材料は完了です。鍋に水と先程の豆腐、わかめを入れて、ひと煮立ちさせます。具材に火が入ってきたら一旦火を止め、お味噌を溶き入れながら沸騰しないように火を入れていきます。沸騰するぎりぎりのタイミングで長ネギを乗せてと。時間があれば、おだしから作ってみたいですが、もうすぐご主人が起きてくる時間なので、次のお楽しみですね。

 出来上がったお味噌汁をよそっていくですよ。

「おはよう、春香」

「おはようございます。もう少々でできるので、くつろいでてくださいですよ」

「うん」

 ご主人はお腹をぽりぽりと掻きながらリビングにやってきました。ソファに座り、テレビを付けています。そんなご主人の何気ない横顔を見ていたら、先程の行為を思い出してしまって、かーっと顔が熱くなってきました。

 水で顔を冷やします、気持ちを切り替えないと手が止まったまんまになってしまうですよ。

 おひたしを冷蔵庫から取り出して、小鉢によそい、ご飯もお茶碗の半分くらいよそいます。

「できたですよー」

「おー、すごい豪華」

 リビングとキッチンの間仕切りに置いていた料理を、ご主人の前の硝子テーブルの上に置いていきます。そして、ご主人の隣に座って合掌。

「いただきます」

 ご主人は箸を巧みに扱ってお味噌汁から飲んでいました。お気に召したかどうかがすごく不安です。ご主人の顔色を伺っていたら、なんと、食べながら涙を流しているではありませんか。

「どうしましたか、ご主人!」

「いや、久々に暖かいものを食べたなーって、それに、すっごく美味しくってさ」

 ご主人は目元をこすりながら、私の頭を撫でてくれました。ご主人に満足いただけるか不安だったので、美味しいといってもらえて、すごく安心できました。

「春香は食べないの?」

「ご主人のお口に合うかどうか、気になってしまいまして……」

 ご主人は、焼き魚に、おひたしと、一口づつ口に運ぶと、

「毎朝作ってもらいたいぐらいだよ」

 にこりと微笑みました。途端に、ぶぁっと切ない感情がほとばしります。

「ご主人っ」

「わっ、どうしたの」

 ご主人の胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめ、すりすりと頭をこすり付けます。それはもう、一生離しはしないくらいに。

 ご主人は私の後ろ髪を優しくさすると、

「一緒に食べよ」

「はいです!」

 きょうの朝ゴハンは、昨日のハンバーガーよりも断然美味しかったというのはここだけの内緒です。

 お皿を洗い終えると、ご主人は膝の上をポンポンと叩きました。エプロンを冷蔵庫の上に畳んでおいてと、そいやっ、飛び込むですよ。

 至高の頭なでなで時間突入です。環境音の全ての音が消え、ご主人の指先から伝わる熱だけがびびっと伝わってくるこの時間は、何事にも変え難い至福のひととき。

 うつらうつらと瞼が重くなってきました。いけません、もっと、堪能せねば……

「せっかくの休みだから、散歩しよっか」

「ふみゅう」

 ご主人の膝の上でずっとごろごろしていたいのもやまやまなのですが、人間になったからには、もっと色んなことをしてみたいという欲求がふつふつと湧いてきました。

 名残惜しいですが、ご主人の膝からぴょんと降りると、

「おっでかっけ、おっでかっけー」

 先ほどまでの眠気はどこかへすっ飛んでいきました。スキップしながらお洋服棚へと向かいます。

 ご主人のお散歩コースは決まって一日掛けて須野原町を周るので、動きやすい服装にしましょう。ロゴニットにチェック柄のフレアスカートを身に着けてと、スカートをたくしあげ姿見を確認します。うん、ばっちりです。

 あとは顔を洗って、歯を磨いて身支度を整えます。

「ご主人ー、準備できましたよー」

「いま行くよー」

 ご主人はいつものようにだぼだぼの黒のタートルネックに、膝丈のデニムで玄関にやってくると、

「その服も似合ってるね」

 頭をなでなでしてくれました。

 ご主人は歯に衣を着せる方法をしらないのでしょうか。素直に褒められるのは嬉しいのですが、あの、心臓に悪いですので、次からは、その、いつなんどきでも身構えてないといけないようです。

「じゃあ、行こっか」

「はいです!」

 そして私は、きょうも日がな一日をご主人と生きるのです。

 ご主人と一緒に暮らしておりますここ、すめらぎ荘は、築四十年を超えるベージュを貴重とした鉄筋コンクリートづくりのアパートです。その二階、階段に一番近い端っこの部屋二○一号室の薄い扉を出て、ぴっかぴかの階段を下ります。

 つい最近まで塗装の膜が剥がれてサビがむき出しになっていたのですが、隣のグータラ女さん、いや、大家さんにご主人が相談したところ、

「君が一ヶ月間、晩酌に付き合ってくれたら塗り直してもいいわよ(ハート)」

 と、抜かしてですね。私からご主人を奪い取った憎き大家さんなんですよ。だいたいですね、自分のアパートの修理をするのにご主人を利用するなんて、おかしな話じゃないですか。国民生活センターに訴えられてもおかしくないというのに、ご主人も、ご主人ですよ。そうやって行かなくても良い所にほいほいと付いていくなんて。全く持ってお人好しがすぎるのです。いや、もしかしたら、あのナイスバディの虜になってしまわれたんですか。

「お、ちょうどいい所に」

 話をすればなんとやらです。大家さんが缶ビール片手に、アパートの駐車場前に植えてあるお花に水をあげています。辺りには、鼻の頭がひん曲がりそうになるくらい、お酒の臭いがぷんぷんと漂っています。大家さんの住んでいる二○二号室用の駐車場スペースには、缶ビールの空き缶がボウリングのピンみたいに十本並んでいました。

「そんなにお酒を飲むと、体壊しますよ」

 大家さんは一旦お水の栓を閉めてホースを置くと、

「ふふ、体を壊したら、薫君のところで世話になるから大丈夫よ」



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