注文の品を待っている間に何をいたしましょうか。猫の時でしたら、サイドバッグの中から読書中のご主人をじっと眺めてはいましたが、ご主人はいつもの文庫本を手にするでもなく、窓の外を至極真面目な顔で見つめています。まさかと思い窓の外を見てみたら、案の定、長椅子に腰掛けていた女の人のミニスカートから、純白のパンティが見えている、いや、見せているくらい顕になっているではありませんか。
ここまでくると、呆れてものを言えなくなります。ご主人に聞こえないくらいの小さなため息をつき、立ち上がると、
「漫画本をとってくるですよー」
喫茶店の入り口に置いてあった漫画本を手に席に戻りました。青春の群像劇を描いた物語なのでしょうか、表紙では、何やら男の人と男の人が仲睦まじく絡み合っております。
ご主人の家は文字がぎっしりと詰まった文庫本ばっかりなので、漫画というものを読んでみたかったのです。志乃さんが休憩時間の間によく読んでいるのを見た限りでは、切った張ったのおどろおどろしい世界が繰り広げられておりましたが、これはどうなのでしょうか、ページをめくると、そこには見開きいっぱいを使って、男の人と男の人がキスしているではないですか。
しゅぱんと漫画本を閉じます。何ですこれは。バラが咲き誇っているではありませんか。きっと、何かの見間違いですよね。恐る恐る違うページを開きます。
『お前は俺のもんだ、絶対離さねー』
『はー、はー、はー、はー』
『クソ、締めやがって』
『……はっ、んっ』
うひゃあああ、なんか、もう、眩しすぎて真正面から見れないですよ。あれがこうしてああなって、でも、何故でしょう。目が離せません。
「オムライスのお客様は……」
先程の女性店員さんはオムライスを片手に、机の前で立ち止まりました。漫画から視線を上げると、店員さんと目が合います。その瞳の奥がどす黒く濁り始め、それを隠すかのように目を閉じると、無言で何度かうなずきました。
私は漫画本を開いたままそっと手を上げると、店員さんは私の前にオムライスを置いて、後ろ手にサムズアップをしながら厨房へと戻っていきました。私もサムズアップを返します。
ご主人はこの一連の動作の意味が全く分からなかったのか、首をひねっておりましたが、こればっかりは、この尊さは、説明できないですよ。
一冊読み終わった頃に、店員さんは野菜カレーを手に机にやってきました。
「以上でご注文はおそろいでしょうか」
野菜カレーをご主人の前に置き、極めて事務的に確認をとると、そそくさと他のテーブルの方たちに対応しておりました。
テーブルの上に置かれた品々を見ます。オムライスは昔ながらの巻き込み型で、卵にしっかり火が通っており、スプライト柄のケチャップの化粧が施されています。ご主人のカレーは市販のレトルトカレーよりも薄い色味で、にんじんや、じゃがいも、なすがごろっと入っているですよ。見た目からして食欲がそそられます。
「いただきますです!」
スプーンで一口サイズに割ってと、薄い卵の下にはしっかりと赤い色のついたご飯がてかてかと光っています。あーん、んんん、酢っぱー……く無いです。ケチャップの強い酸味が舌に広がったと思ったら、後から卵のマイルドな味が押し寄せてきて、卵とケチャップご飯が見事に調和しています。ご飯の中に入っていたグリーンピースがまたいい塩梅なのです。噛めば噛むほどそれがぷちっ、ぷちっと食感に変化をもたらしてくれて、爽やかな風味を残してくれます。
ご主人もカレーを食べながら至福の表情を浮かべているですよ。
「ご主人、一口頂戴ですよ!」
「いいよー」
ご主人は具材を小さく割ってスプーンの上に一口カレーを作ると、
「はい、あーん」
「あーん」
大きく開けた口の中に入れてくれました。
カレーも最高です。辛さ控えめのルーと、ホクホクのあまーいじゃがいも、にんじん、なすの組み合わせは、もう、たまらないですよ。
もう一口もらおうって、あれ、ちょっと待ってくださいですよ。ご主人は自然に「あーん」ってやってくれたので「あーん」ってしましたが、これって……間接キスっていうやつなのでは? ぼんっと頭のさきっちょから煙が立ち上がるような感覚が沸き起こります。
ご主人は至極平然とした態度でカレーを食べ進めておりますが、何も感じていないでしょうか、それはそれで、悲しいものがあるですよ。
深呼吸をして気持ちを落ち着けると、再びオムライスを食べ始めました。
「また来るですよー」
店員さんに手を振りつつ外にでると、来た道と同じ経路で商店街通りに戻りました。
商店街を抜けると、海沿いを走る通りへと出ます。四車線の海岸通りには南国の木が等間隔に配置されていて、サーフショップやマリンスポーツ関連の店舗が多くなります。その中でも一際大きな敷地面積をほこる場所が、須野原水族館ーー地元の人たちには、すのすいと呼ばれており、さわって生物を体験できるコーナーから、イルカショーなど様々な展示がされている人気のスポットで、家族連れの方たちや、カップルさんにとって須野原ショッピングモールに次いで人気を誇り、休日真っ只中のきょうはチケット売り場に長蛇の列が出来ていました。
「商店街もそうでしたけど、どこもいっぱい人が並んでますねー」
「きょうは休日だしなぁ」
他愛もない話をしつつ、海岸沿いをひた歩きます。ビーチでは、サーフボード片手に海に飛び込んでいる人や、ビニールシートの上で横たわっている人がいたりと、夏場の行楽シーズンほどではありませんが賑わっておりました。その中に、ひと際目を引く女性がサーフウェアを身にまとい準備運動をしておりました。黒いショートヘアにあの出るところはきちんと出ている体つき、後ろ姿でもわかります。
私は気づかれないように早足で駆け抜けようとしましたが、
「志乃さーーん」
ご主人が声を掛けてしまったではありませんか。
「お、薫先輩じゃないっすかー」
志乃さんは石垣の下までやってくると、
「おとなりは……妹さん?」
「猫宮春香です!」
「おー、元気がいいっすねぇ」
志乃さんが会釈してきたので無下にも出来ません、軽く会釈します。
「志乃さんってサーフィンやってたんだ」
「最近、サーフィンをやっている友達が一緒にやろうって誘ってくれたっす。普段。こういう系はやんないんすけどね」
志乃さんがサーフィンをやっているグループを指差すと、その人たちが手を振ってきました。
「どう、楽しい?」
「結構面白いっす」
志乃さんは波に乗ってるようなジェスチャーをすると、
「ていっても、まだ全然波に乗れないっすけどね」
軽く舌を出して、ちょっとだけ悔しそうな表情を浮かべていました。
「いいなぁ」
「薫先輩も一緒にどうっすか?」
「僕は泳げないんだ」
「あれま、でも泳げなくても大丈夫っすよ。僕が手取り足取り泳ぎ方からレクチャーしてあげるっす」
「手取り足取り……」
ご主人の目が真っ赤に充血していきました。これは今すぐにでも参加する勢い。
人間になって初めての二人っきりの散歩なんです。今ばっかりは阻止せねば。
「水の中で溺れたトラウマがあるから駄目なんですよ!」
「え……そうだっけ?」
「ねー」
ご主人の目をぎろりと睨みます。
「あー、小さい頃に波にさらわれたことがあってさ。それ以来、水の中はからっきしなんだ」
「それは、残念っす……」
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