自分の顔と同じくらいのサイズのハンバーガーにかぶりつきます。じゅわぁと口の中に肉汁の海、またたびとはちがった芳醇な香りが広がります。目がとろんとしてきました。余韻が抜け切る前に、一口、また一口と何も語らずに黙々と口に運んでいきます。ご主人はといえば、一口一口ゆっくりと啄むように食べていました。
ご主人がハンバーガーの残り半分と少々に手を付けていたころには、ハンバーガーを全部食べ終え、今度はチーズフライに手を伸ばします。一本持ち上げると、とろりとチーズが滴り落ちてきました。地に落下する前に素早く口の中に放り込み、そしゃくします。さくさくとした食感に、程よく絡みつくチーズとのマリアージュは得も言われぬものがあるのです。もっと堪能したい。
りすみたいな顔になったところで、一旦レモネードを手に取り流し込みます。柑橘のチェイサーはまた、フライに手を伸ばさせます。もぐもぐ。ごくごく。もぐもぐ。ごくごく。食の暴走機関車となった私を誰も止められませんよ。
小さなフライの欠片が残っている紙箱を手に取り、大きく開いた口に目掛けて振ります。からからからと流れ落ちてきた全てのポテトをもぐもぐさせつつ、まだハンバーガーを食べていたご主人の顔をじーっと見つめます。それはもう、ご主人も私の考えていることなんて分かっているでしょと期待に胸を膨らませ、至高のウインクなる片目ぱちぱちをしてみますが、どうも両目でぱちぱちしてしまいます。これは練習の必要がありそうです。
ご主人は苦しそうな顔をしていましたが、そのハンバーガーは残り五割ほど、フライには一切手を付けていませんでした。
「これ、全部食べる?」
「いいんですかっ!」
ご主人が首肯するのを確認するより速くハンバーガーを手に取ると、思いっきり頬張ります。もぐもぐ。ごくごく。もぐもぐ。ごくごく。ご主人から心底呆れた顔で見られているような気配もしますが、食欲の前には不問です。
「もうお腹いっぱいですよー」
ぷっくりと膨らんだお腹をさすります。猫の時からよく食べるねぇとは言われておりましたが、流石にもう入る余地はありません。ご主人の方を見ると、スラッとした筋肉質のお腹をさすっていました。同じ時間を共有しているんだなぁと何だか嬉しくなって微笑んでいると、ご主人も微笑みました。
ふと、視界の端に小学生くらいの新鮮な子らが七色のソフトクリームを食べている光景が映ります。先程の発言はなんのその唾液が尋常ではない速度で分泌されていくのがわかります。
あれはいいものだ。
「食後のデザートに、アイスでも食べる?」
「もちろんです!」
ご主人はその様子を知ってか知らずか、立ち上がると、私の手を引いてアイスクリーム屋へと向かいました。
「何ですかこの食べもの! 美味しすぎて止まらないです!」
「そんなに急いで食べると、頭が痛くなるよ」
私は長さ二十センチほどの七色ソフトクリームを、ご主人はシングルカップの抹茶アイスを食べつつ、ショッピングモールを散策しました。時折、勢いよく食べ過ぎて頭にきーんとくる痛みに身悶えます。
ご主人と足繁く通っている書店にやってくると、通路側で特集されていた料理本を読み始めました。せっかく人間になったのです、ご主人に手料理を振る舞ってあげようではありませんか。こんな甲斐甲斐しい猫、他に探しているでしょうか。いや、いない……と思います。そもそも他の猫の様相なぞ知りませんでした。
ご主人はといえば、白い帯に包まれたなんとも奇っ怪な本を読んでいました。あの本がご主人の肌の白さを保つ秘訣なのではないかと錯覚するほど夢中になっています。
ご主人が飽きて戻ってくるまで、しばらく読み進めることにしましょう。
・・・
「ほうほう、これは美味しそうですね」
「気に入った?」
「はいです!」
「そっか」
ご主人は私が斜め読みし終えた料理本を手に取ると、購入してくれました。
「服装はいいとして、あとはご飯の買い出しか」
生鮮食品を取り扱うお店へ着くと、ご主人は加工された弁当を手に取っていました。
「待ってくださいご主人、私、お料理をつくってみたいです!」
ご主人が買ってくれた本を片手に、生野菜や、生魚といった食材をかごにぽいぽい入れていきます。ご主人のためなーらエンーヤコーラ。
「そんなに買って運べる?」
「大丈夫ですよ! 私、こう見えて力持ちなんです!」
腕をまくるとブンブン振り回しました。こんな動作をしていたら、何かやらかしたような気がして……そうだった、置き時計と写真縦を壊してしまったのを思い出しました。
「ご主人、その」
「どうかした?」
「家の時計と、写真たてなのですが……その、壊して、しまいまして」
俯き加減につぶやくと、私の頭をなでなでしてくれました。
「正直に言ってくれて、ありがとね。怪我はなかった?」
「……はいです!」
正直に言えてよかったですよ。そして、ありがとうご主人。
両手に大きな袋を抱えて外に出ると、モール広場はメリーゴーランドや遊具に備え付けられているネオン光で輝いていました。
「ご主人、最後に、あれに乗ってみたいです」
観覧車を指差します。その中央に備えられていた電光掲示板は二○時五○分を示していました。
「のろっか」
荷物を一旦ロッカーに預けると、おとな一枚と中高生一枚のチケットを購入してくれました。
「どうぞー」
横乗りの観覧車に並んで座ります。肩と肩がぶつかる距離なため、黙っていると呼吸の音も聴こえてきそうです。
がしゃりと扉が閉まり、ナメクジが這うような速さで動き始めました。
徐々に開けてくる視界、地上で手を振っている人に合わせて手を振ります。
中腹に差し掛かったころ、外の景色を見下ろしました。真下は明るいですが、稜線に広がる一面の闇――暗くじめじめして助けを呼ぶ声も消えて溶けてしまうようなそんな空間――高いところは苦手ではないはずですが、膝の上に置いていた拳が僅かに揺れ始めます。どうしましょう、止められません。
ご主人は拳の上にそっと手を置いてくれました。ぷるぷる震えていた手の揺れが、次第に落ち着きを取り戻していきます。
須野原町の建物が全て眼下に収まったとき、瞳から大粒の涙がぽたぽたと頬を流れ落ちてきました。手の甲で涙を拭うと、ご主人の肩にぽすっと頭を預けます。
ご主人は何も言わず、頭を重ねてくれました。鼻水を啜っている音、不規則に吸ったり吐いたりしている呼吸音、衣服の擦れる音が漂う空間を、淡い暖色の室内灯が照らしています。
ご主人は私の頭を撫でつつ「大丈夫、大丈夫」と言ってくれました。
「ちょっぴり、寒く、なってきたみたいです」
さらに頭を密着させます。涙がご主人の肩を濡らしてしまっていますが、いまだけは許して欲しいです。
地上に降りると、スロープを駆け下り、観覧車出口のゲート下で振り返ります。
「帰りましょう、ご主人!」
ご主人のために早寝早起きして、料理を振る舞ってあげようと決心しました。
来た道をルンルン気分で歩きながら帰ります。猫の時とは違って、少しばかり高くから見える景色は、新しい発見でいっぱいでした。塀の向こうの緑、家家の温かみ、そしてなにより、ご主人の顔を、真隣から見れる幸せ。
人間って、最高じゃないですか!
家に着くと、まず持っていた荷物の塊を玄関に置きます。
「ご主人は休んでいてください。私がやるです!」
「ありがとう」
ご主人はソファーへと横たわりました。
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