くるりと一回転します。黒い猫耳ニット帽に、濃いピンク色のジャギーニット、淡い藍色のフレアスカートに黒のロングソックスを身につけ、ご主人を見つめます。ご主人のお気に入りのセットアップだということは、私の辞書の中にすでに登録済みなのですよ。ふっふっふ、可愛さのあまり一目惚れしちゃうが良いです。そして、仲が進んだ暁には……はっ、いけません。よからぬことを想像しておりました。
「うん、似合ってるよ」
そんなことはお構いなしに純粋な瞳で見返されたので、思わず顔をそむけてしまいました。いつものあのむっつりとしたご主人はどこにいったですか!
「これをお願いしますですよ」
猫の姿に戻るとバッグの中にすっぽりハマります。決して照れていた表情を見られたくなかったからではありません。ええ、決して。
ご主人は落ちた衣服を拾い上げ、レジに向かいました。購入を終えると「にゃぁお」頭を何回も縦に振ります。「どういたしまして」ご主人は照れくさそうに頭を掻いていました。
食事をどこかで済ませようとフードコートに向かっている最中に、私はお手洗いの前で両手を上げました。
「おしっこ?」
ご主人にはデリカシーの欠片もないのでしょうか。首を横に振り、購入した衣服が入っている袋をぱしぱしと叩きます。ご主人は首肯すると袋を地面に置きました。私は女子トイレの中に人がいないかどうかを確認すると、地面におかれた袋を口に加えて引きずりつつ、トイレへと駆けていきます。
「おまたせしました、ご主人」
ご主人は、無糖の缶コーヒーを一口一口、味わうようにゆっくりと飲んでいました。私に気づくと、大きく背を伸ばし、空いている方の手を差し出してきました。その手をスカートの裾で拭ってからがっちり握り返すと、再びフードコートへ向けて歩き始めます。
いざ慣れぬ土地を人間の姿で歩き始めると、あっちにふらふら、こっちにふらふら、足取りがおぼつきません。時折、すれ違う人にぶつかりそうになっては怪訝な顔をされました。
「どうしたの?」
「この姿だと匂いが上手く嗅げなくなるので、ぼやけた視界だと歩くのが難しいですよ……」
「なら、眼鏡を買いに行こっか」
「はいです!」
眼鏡屋につくとまず視力検査をしました。両目0・1と、どうやら猫の状態と同じような視力です。レンズの在庫はあるということなので、フレームを探し始めました。
色とりどりの眼鏡を掛けては、外して、掛けては、外してを繰り返したのち、黒縁メガネを掛けて鏡を見ます。
「んー、掛心地はこの眼鏡がしっかりくるですね」
「じゃあ、それにする?」
「ちょっと待ってくださいです!」
せっかく買ってもらえるのなら、一番ご主人が好きそうなものを! もう一度店舗内の眼鏡を吟味すると「やっぱりこれが一番です」ご主人はその黒縁眼鏡を購入してくれました。
装い新たにフードコートへ辿り着くと、たくさんの店舗が並んでいました。うどん屋にラーメン屋、ステーキ屋にハンバーガ屋等々、和洋の食事処が所狭しと軒を連ねています。
人に変わると、食指も人に寄るみたいです。さんさんと輝くフードコートの端から端まで三往復くらいした後に、ハンバーガー屋に置かれていた手書きのメニュースタンド前に止まりました。
「これがいいです!」
テレビで取り上げられましたと、でかでかと書かれていたメニューには、顔より大きいハンバーガーとして話題沸騰中だとかで、これまた大仰に描かれていました。ご主人は頷くと、列の最後尾に並びました。列がどんどん短くなっているさなか、他に何を注文をするかで悶絶します。どれもこれも美味しそうに見えるではありませんか。
ちょうど注文が決め終わった頃に順番がやってきました。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「須野原バーガーのダブルを二つとレギュラーサイズのフライを二つ、ドリンクはレモネードを二つでお願いしますです!」
ワンタッチコールの受信機を受け取ると、ほぼ全て埋まっていた室内スペースを抜け、屋外へと向かいます。肌寒い風が吹き荒ぶテラス席は、人が数えるほどしかいません。毛皮が無いとこうも寒くなるのか。腕を組んで震えつつ、一番外側の席に座って一息つきます。
ご主人は残っていたコーヒーを全て飲み干すと、尋ねてきました。
「ねぇ春香?」
「何です?」
「猫と人間で姿が変わるときに、違和感とかってないの?」
「違和感ですか? うーん……これといって猫のときも、人間のときも違いがないと思います。強いて言うなら、猫の状態だと人間の言葉は理解できるのですが、それを言葉で人間に伝えられなくて、むむむってなります。あっ、そうだっ」
「何?」
「人間の時だと、人間の食べ物がすっごく美味しそうに見えます!」
「そういうもんなんだ」
「ですです」
ご主人は質問を続けます。
「好き嫌いとかってないの? 猫ってよく偏食するっていうけど」
「好き嫌いですか? 嫌い、ではないですけど、その、苦手な人なら」
人差し指で目尻を上に持ち上げます。
志乃さんのことを示していることはご主人ならすぐにわかるはずでしょう。ご主人は苦笑していました。
「悪い人ではないんだけど、たまに行き過ぎるのがちょっとね」
「ちょっとどころではないですよ! きょうだって!」
プラスチックの椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がります。
天帝がお帰りになられたあと、志乃さんは私をひょいっと持ち上げると、頬ずりしだしました。不退転の覚悟でその綺麗に整った顔に渾身の猫パンチをくらわしましたが「もふもふーもふもふー」と火に油を注いでいる感じでした。次いでがっちりと両の手で腹を鷲掴み、カクテルのシェイカーみたいに振り回します。ぐるぐると獰猛にうねりちかちかとする視界の中で抵抗する気も失せ、ついぞ諦めて私はなすがままになりました。その後の記憶はありません。
「最後の方は春香も気持ちよさそうに寝てたよ」
「うっ、それは」
ご主人は時たま鋭く痛いところを突いてきます。鋭いのは顔だけにしてほしいものです。
「意地悪ですよ、ご主人」
「ごめんごめん」
プイッと顔をそむけると、ご主人は両手を合わせて謝っていました。
ぴぴぴぴぴと受信機が鳴ります。
「私が持ってくるですよー」
三十六計逃げるに如かず。気まずい空気をたておすべく、ハンバーガー屋へと俊敏に向かいます。
「どうぞー」
「ありがとです!」
受取口にはなんとまあ、垂涎の品が並んでいるではありませんか。一刻も速く口に放り込みたい。自分の盆を受け取ると、ご主人の元へ人にぶつからないように、けれど、足早に向かいました。
テーブルに盆を置くやいなや、ご主人は唖然としていました。無理もない。そもそもご主人は少食なのです。顔ほど大きなハンバーガーなぞ食べ切れるはずもありません。しかし、その温厚な性格ゆえ、私と同じ注文をするのは想定の範囲内です。つまり、余り物が私の元へと寄越されるのは自明の理であり、当然の解として導かれるのですよ。
まぁ、要はいっぱい食べたいだけなのだけど……
「どうしたの?」
「いえ、何でもないです!」
にっしっしと笑っていた私を怪訝な顔で見つめてきました。やめてください、照れるではありませんか。
「いただきます」
「いただきますです!」
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