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喪失の後始末をする人々——闇の中をどこまで高く

誰かが死んだ後の世界を、どう生きるか。セコイア・ナガマツの『闇の中をどこまで高く』はその問いを、14の断章を通じて遠い未来まで引き伸ばしていく。

発端はシベリアの永久凍土だ。気候変動によって溶け始めた大地から、三万年前の少女の遺体が発掘される。その遺体から未知のウイルスが広がり、世界はパンデミックに飲み込まれる。ウイルスは「北極病」と呼ばれ、感染すると臓器が別の臓器へと変異していく。その奇妙な症状が、物語全体に漂う「変容」というテーマを先取りしている。

構造は14の断章からなるモザイク状の連作だ。各章に主役がいて、それぞれの視点から物語が語られる。子供を安楽死させるテーマパークで働く青年、亡くなった人との最後の時間を演出するホテルの従業員、地球を離れて宇宙へ向かう移民船の乗客——時間軸は近未来から遠未来まで跳躍し、舞台も北極、東京、宇宙と移っていく。登場人物がモザイク状に繋がっていて、ある章の脇役が別の章の主役として現れる。その構造自体が、喪失は連鎖するという主題と呼応している。

著者は日本にルーツを持ち、大学院入学前に二年間新潟で暮らしたことがある日系アメリカ人だ。登場人物の多くが日系人で、新潟や東京が舞台になる章もある。アメリカ文学として書かれているのに、どこか読んでいて親しみやすい感覚がある。同時に、アメリカから見た日本の描かれ方に微妙な異化効果があって、なじみの場所が少しだけ違う光の下に置かれているような感触もある。

各章が独立したまま進むので、読み進めるうちに「このキャラクターはどこかで出てきたか?」と記憶を手繰り寄せながら読むことになる。それが少し面倒だと感じる人もいると思う。ただその手繰り寄せる行為自体が、喪失の後に記憶をたぐっていく行為と似ていると気づいたとき、この構造が必然だったとわかる。

終末世界を描きながらも、眼差しは温かい。どんな状況下でも営みは普遍であり、人々は他者との繋がりを求め、やるべきことに取り組んでいる——という評がある。読んでみると、そのとおりだと思う。子供を安楽死させる遊園地という設定は猟奇的に聞こえるが、実際にその章を読むと、そこには愛と誠実さしかない。どれだけ歪んだ状況でも、人間が人間に向ける誠実さは変わらない。その信頼が、この小説の底にある。

アーシュラ・K・ル=グイン賞特別賞を受賞したほか、アンドリュー・カーネギー・メダルやペン/ヘミングウェイ賞などの候補にもなったデビュー長篇だ。ル=グイン賞はその名が示す通り、文学的な美しさと社会的な問いを兼ね備えた作品を評価する賞で、本書はその精神にふさわしい。

喪失の後始末を、誰がどうするか。それを問い続けた小説が、どこかで誰かの後始末に寄り添うことがある。本書もそういう一冊だと思う。



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