飛浩隆の文章は、読むという行為そのものを体験へと変えてしまう。視覚、聴覚、触覚——五感を刺激する繊細な描写を確かなリズムで積み重ね、読者の前に映像や触感を創造する。文字だけで世界が生み出され、人が卵のように割れる感覚まで味わわせる筆致の凄み。その魅力が4篇にわたって存分に発揮されたのが本書だ。
「デュオ」は、双子の天才ピアニストをめぐる生と死の二重奏を描く中篇。SFというよりミステリー色が強く、収録作のなかでもラストのインパクトは別格。「デュオ」という題名が、音楽的な意味だけでなく物語そのものの構造を指していることが、読み終えた瞬間に腑に落ちる。飛浩隆が文章で音楽を描こうとするとき、その試みはいつも見事に成功している。
「呪界のほとり」は、魔法が存在する異世界を舞台にしたファンタジー中篇。本書のなかではもっとも入りやすい作品だろう。エメラルド色の竜ファフナーは、すぐに失敗して落ち込み、拗ねてしまう愛らしい性格の持ち主。その親しみやすさと、異世界の濃密で奇妙な空気が不思議な調和を生み出している。
「夜と泥の」は、一年に一度だけ現れる少女の幽霊の秘密を描く物語。静かな沼地の風景がどこまでも陰鬱な雰囲気を漂わせる。この篇では飛浩隆の五感描写が特に触覚と嗅覚の領域で力を発揮し、読者を湿った世界へと引きずり込む。物語の核が明かされる瞬間のひそやかな衝撃は、「デュオ」とは異なる種類の読後感を残す。
表題作「象られた力」は、謎の消失を遂げた惑星〈百合洋〉を舞台に、イコノグラファーのクドウ圓が言語体系に隠された「見えない図形」の謎へ挑む中篇だ。「かたち」と「ちから」の対立がもたらす災厄を通じて、認識と言語、そして世界の構造そのものが崩れていく過程を描き出す。飛浩隆の文体が最も高密度に機能する作品であり、その到達点はしばしばイーガンやテッド・チャンの代表作と並べて語られる。オールタイムベスト級のSFとして挙げる声も決して誇張ではない。
飛浩隆は1960年島根県生まれ。大学在学中に三省堂SFストーリーコンテストへ入選し、1983年にSFマガジンでデビューした。しかし1992年の「デュオ」を最後に長い沈黙に入り、2002年、『グラン・ヴァカンス』で鮮烈な復活を果たす。本書は、その沈黙以前に発表された中篇群を全面改稿してまとめた作品集で、第26回日本SF大賞を受賞している。
飛浩隆を初めて読むなら、まず本書から入るのがいい。代表作『グラン・ヴァカンス』の圧倒的な密度に挑む前に、この4篇で飛浩隆という作家の文体、その独特な作風を味わってみてほしい。
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