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不完全なままであることへの愛着——いずれすべては海の中に

ある読者が本書を「闇鍋のような短篇集」と評していた。食べて咀嚼しても何を食べているのかわからない、味の形容もできない、でもめちゃくちゃ旨い——という言葉が、13篇を読み終えた後の感覚をそのまま言い当てていて、思わず笑ってしまった[1]。

サラ・ピンスカーはすでにブログでも第二短篇集『いつかどこかにあった場所』を紹介したが、本書はその前に刊行されたデビュー短篇集にあたる。2013年から2017年にかけて書かれた13篇を収めており、邦訳では長篇『新しい時代への歌』に続いて刊行されたが、原著としてはこちらが先に出た作品集だ。短篇集全体でフィリップ・K・ディック賞を受賞している[2]。

冒頭の「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は、最新の義手が道路と直接繋がった男の話だ。右手と左手で感覚の中枢が違うため、運転中に自分の身体の主導権をめぐって内部で葛藤が起きる。設定の奇妙さと、その奇妙さが引き起こす実存的な問いの組み合わせが、ピンスカーの特徴を最初の一篇で見事に示している。『ハイブリッド・ヒューマンたち』で問われた「身体はどこまで自分のものか」という問いと共鳴する。

「風はさまよう」は世代間宇宙船の中での話で、人類の文明データが失われた船内で、音楽を再現しようとするグループの女性を描く。過去の名曲を完全には取り戻せないなか、それでも演奏を続けることの意味を問う。ピンスカーがシンガーソングライターとしても活動していることを知ってから読むと、この篇への思い入れの深さが伝わってくる気がした。

そして本書で最も話題になる「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」。並行世界のサラ・ピンスカーたちが集う「サラコン」という会合で、一人のサラが殺害される。被害者も加害者も探偵も全員がサラ・ピンスカーという、前代未聞のSFミステリだ。アガサ・クリスティーへのオマージュでもある。「著者の死」というテーマを正面から扱った Death of the Author を思い起こすと、こちらは著者が分裂して自分自身を殺すという、さらに極端な問いを笑いとともに突きつけてくる。

13篇の中には音楽・身体・記憶・並行世界・終末とテーマも質感も様々な作品が混在している。それでも読み終えると「一冊のピンスカー」という統一感がある。それはたぶん、どの篇にも「不完全なままであることへの愛着」が滲んでいるからだと思う。義手は道路と完全には一体化しない。消えた音楽は完全には再現できない。並行世界のサラたちは誰一人同じではない。その不完全さを嘆くのではなく、不完全さの中に何かを見出そうとする姿勢が、ピンスカーの短篇を読んだあとに残る温度の正体だ。

第二短篇集『いつかどこかにあった場所』から入った方は、ぜひこちらにも手を伸ばしてほしい。ピンスカーが2013年から書き始めた頃の、少し荒削りでその分だけ直接的な熱量が、こちらの方により強く感じられる。


参考文献

[1] たけうち. “『いずれすべては海の中に』 サラ・ピンスカー 著 市田 泉訳 感想”. note. 2023-12-01. https://note.com/gifted_auklet771/n/nedce6b692475, (2026-03-28).

[2] 版元ドットコム. “いずれすべては海の中に サラ・ピンスカー(著)”. 版元ドットコム. https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784801931176, (2026-03-28).



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