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コミケはあるかもしれない、だから行く——コミケへの聖歌

二十一世紀の半ば、文明は崩壊した。東京は《廃京》と呼ばれ、赤い霧に覆われたまま、人は戻らない。山奥の僻村イリス沢では、原始的な農耕ときびしい封建制のもとで、人びとがかろうじて暮らしをつないでいる。

そんな村で、四人の少女が廃屋を直した<部室>に集まり、《イリス漫画同好会》として活動している。旧時代の遺跡から見つけた単行本を手本に、手描きの<同人誌>を作る。全巻がそろっているとはかぎらない。第三巻と第五巻しかなければ、空白の第四巻を想像でおぎないながら描く。

彼女たちの目標は<コミケ>だ。かつて《廃京》の海辺で開かれていたマンガの祭典。いまも続いているのかは、だれにもわからない。可能性はほとんどゼロに近い。それでも、どこかに描き続けている人間がいるはずだという確信が、リーダーの比那子にはある。

いかにも軽やかな部活ものに見えるこの設定は、読み進めるうちに別の重みを帯びてくる。イリス沢という村の歴史が、静かに前景へにじみ出てくるからだ。三代四代前にさかのぼる因縁や差別、欺瞞が、横糸のように物語にからみつく。

医師の家に生まれた主人公の悠凪は、共同体のために家業を継ぐことを運命づけられている。村の因習がじわじわと圧力をかけてくるありさまは、むしろフォークホラーに近い。文明が崩壊したあと、社会が過去のかたちへと逆戻りしていく。その見方が、本書のもうひとつの背骨になっている。

前半の軸となるのは、悠凪が<コミケ>へ行くと決めるまでの三日間だ。いくつもの出来事を通して、彼女は村と自分自身にある欺瞞に気づいていく。<コミケ>を目指すことは、単なる逃避ではない。閉じたイリス沢という世界に、外へひらく回路をつくろうとする試みとして描かれる。

人が場を離れ、別の場所へ向かうこと。その移動が、文化を運び、更新してきた。四人が村を出ようとするその身ぶりは、小さな反抗であると同時に、人が積み重ねてきた営みの反復でもある。だからこそ、この物語は個人的な決断にとどまらず、文明そのものの運動へとひらいていく。

本作は第12回ハヤカワSFコンテストで、『羊式型人間模擬機』とともにダブル大賞を受賞した。一方が人間の定義を鋭く問い詰める作品だとすれば、本作は社会と文化の持続を別の角度から照らしている。同じ頂点に並んだ二作の隔たりが、そのまま現在の日本SFの裾の広さを示している。



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記憶が漏れ出し、一族の年代記が溢れ出す——羊式型人間模擬機


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