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目次
3行要約
- ・広島のカキ大量死は高水温や貧栄養化が複合した環境ショックであり、地域経済と将来の生産基盤を脅かす構造的な危機である。
- ・解決策として海底の栄養を表層へ送る装置による環境改善や、若手後継者がセンサーとデータを活用するスマート水産業の実践が進んでいる。
- ・技術の実証成果は確認されたものの、装置の普及や人材育成といった社会実装の壁は厚く、継続的な投資と支援体制の整備が不可欠である。
本文
広島を中心とする瀬戸内海の養殖カキ大量死は、単なる不漁ではなく、産地の将来見通しそのものを揺るがす事態である。来年の分も死んでいるという養殖業者の言葉は、今期の損失だけでなく、本来なら数年先まで続く収入の源泉が一気に失われたという構造的な打撃の深さを示している。港からカンカンという剥き作業の音が消え、静まり返った風景は、気候リスクが地域経済に及ぼすインパクトを象徴している。
被害の背景には、高水温、高塩分、えさ不足、酸素不足が複合的に作用した環境ショックが存在する。広島県の一部海域はEU向け輸出が可能なきれいな海として評価される半面、栄養が乏しくへい死率が高いハイリスク・ハイリターンの海域でもある。そこに長期間の高水温などが重なり、さらに例年は海底付近にとどまる酸素の少ない貧酸素水塊が表層付近まで上昇したことで、弱っていた個体に致命傷を与えたとみられている。
根本的な要因として、かつての環境保全政策がもたらした副作用も見逃せない。富栄養化対策として窒素・リンを削減した結果、現在の瀬戸内海は逆に貧栄養化し、植物プランクトンの生産低下が漁業全体の縮小を招いている。広島大の小池一彦教授らが長年研究してきた海底耕耘や海底付近の海水をくみ上げる装置は、こうした構造問題に対し、低温で栄養豊富な海底層のポテンシャルを上層に引き出すことで、やせた海を少しでも肥沃化しようとする試みである。
実際に東広島市三津湾で行われた実証実験では、海水をくみ上げる装置を設置したいかだとそうでないいかだの間で明確な差が確認された。設置したいかだでは平均水温が約0.7度低く、カキの餌となるプランクトン量が高水準で安定し、むき身重量も約1.5倍になるなどの成果が出ている。これは異常気象だから仕方ないという諦めに対し、海中の物理・化学環境を人為的にマネジメントすることで、生産性とレジリエンスを高め得ることを実証している。
この実証が市のコモンプロジェクトとして位置付けられ、行政が研究費や協力者紹介などで関与している点も重要である。大学側には机上の研究を現場の課題解決に接続するフィールドが提供され、市には学術的知見を対策立案に直接活用できるメリットがある。多くの自治体で形式化しがちな産学官連携が、瀬戸内という具体的な海域を舞台に実質的な機能を見せ始めている。
技術的なアプローチに加え、データで海を見る若い世代の登場も新たな動きとして注目される。小池ゼミに所属し、マルムラ美野水産の後継者でもある美野森也さんは、水温や塩分、酸素濃度、餌量など7項目を測定できるセンサーを活用し、スマートフォンでリアルタイムに海況を把握している。カキが水温25℃超で急速に弱ることや、食害が15℃以下で大きく減ることなど、従来の経験則を具体的な閾値と時系列データとして捉え直している点が重要だ。
こうしたデータ活用は、単なる便利なガジェットの導入にとどまらない。学生たちは2023年から蓄積してきた海水データを用い、カキの身入りを予測するシステムの開発にも取り組んでいる。勘と経験の世界を否定せずデータで補強する試みは、再現可能な知識の共有を促し、価格形成や出荷計画、ひいては新規就業や事業承継の心理的ハードルを下げる可能性を持っている。
一方で、解決に向けた課題は依然として多い。海底水揚水装置SPALOWはまだ8台しかなく、導入や維持管理には資金と人手が不可欠であり、個々の養殖業者に任せられる対策ではない。技術シーズを実証止まりに終わらせないためには、社会的な投資と制度設計が必要である。また、高度な観測システムを使いこなせる人材育成や、教育・金融・保険の枠組み整備も急務となる。広島のカキは沿岸生態系の変調を映すリトマス試験紙であり、その背後にある海の状態と産地の試行錯誤に目を向けられるかが問われている。
元ネタ
「来年の分も死んでいる」カキの大量死で悲鳴、救うカギは「海底」にあった? コントロールできない天候に知力とデータで立ち向かう若者たち

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