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だれにも届かないかもしれない言葉

人から見られていないブログを更新する意味があるのだろうか、と夜になると考える。アクセス解析の数字は静かで、だれかが通りすぎた形あともない。ページはたしかにそこにあるのに、世界から切りはなされた小さな部屋のようだ。

見られていないという事実は、思っているより重い。言葉は本来、だれかに向けて放たれるもののはずなのに、その矢は宙にとどまり、どこにも刺さらない。私は独り言をていねいに整えているだけなのだろうか、とむなしくなる。

それでも更新する。なぜだろう。

もしかすると、だれかに見られる前に、自分が自分を見ているからかもしれない。書くとき、私は自分の考えに向き合う。あいまいだった気持ちが形を持ち、言いわけにしていた部分があらわになる。書くという行いは、世界よりもまず、自分への問いかけなのだ。

見られていない時間は、評価もないかわりに、自由でもある。だれの顔色も気にせず、うまくまとめようとせず、ただ正直に書ける。読者がいないことは、さびしい。けれど同時に、まじりけのない場所でもある。

いつかだれかが読むかもしれないし、読まないかもしれない。その不確かさのなかで、それでも更新ボタンを押す。その小さな決断は、世界に向けたものというより、未来の自分に向けた合図のように思える。

人から見られていないブログを更新する意味があるのだろうか。答えはまだ出ない。けれど、見られていないからこそ続いている、ということもあるのかもしれない。だれにも見られていない場所で、それでも灯りをともす。その灯りは、少なくとも、いまここにいる私を照らしている。



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