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デザインセンスを渇望する

白い紙と鉛筆

デザインセンスを渇望する、などというと少し大げさに聞こえるかもしれない。それでも私は、ときどき本気でそれをほしがっている。

たとえば、Appleの箱を開けるとき。あの静かな手ざわり、白い余白、文字の置きどころ。なぜここまで気持ちが整うのかと考える。たぶん、そこには目に見えない気づかいがすでに折りこまれている。形や色だけでなく、さわる順番や、目が動く流れまで、きちんとえらばれているのだろう。

街を歩いていてもそうだ。Tokyoの小さな店の看板や、地下鉄の路線図、古い喫茶店のメニュー。うまくいっているものは、声をあらげない。ただそこにあるだけで、いいと思わせる力がある。私は立ち止まり、どうしてこれが美しいのかを考える。けれど答えは、いつも霧の中にある。

センスは生まれつきのものだ、という人もいる。けれど私は、そうでないと信じたい。見ること、まねること、失敗すること。そのくり返しの先に、やっと自分の線が出てくるのではないか。そう思わないと、手を動かす勇気が出ない。

机の上に白い紙を置く。どこから始めるべきか、しばらくわからない。余白がこわい。けれどその白さこそが、可能性なのだとも思う。線を一本引くだけで世界は変わる。たったそれだけのことなのに、私はいつもためらう。

デザインセンスを渇望する、というのは、もしかすると他人の目を渇望することなのかもしれない。自分の作ったものが、だれかの心に静かに届く、その瞬間を夢見ている。ほめられたいのではなく、わかってもらいたいのだ。

だから今日も、少しだけ見る。少しだけ考える。そして、少しだけ作る。センスはまだ遠い。けれど遠いからこそ、手をのばす意味がある。いつか自然に、いいと思える線が引ける日を信じて、私は白い紙に向かい続ける。



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