yukisskk

未来はすでに決まっている? それでも人は自由に選べるのか

『パラドクス・ホテル』を読んでいたら、自由意志とブロック宇宙論についての描写があった。多分、本の内容的にそれがクリティカルな内容になるであろうから、頭の中の整理をかねて掘り下げていくことにする。

自由意志とブロック宇宙論は、時間とはなにか、人はどれほど自由なのかという問いに深くかかわっている。どちらもむずかしいテーマだが、私たちの日々の選び方や生き方に直につながる話でもある。

まず、自由意志とは、人が自分の意志で行いを選ぶことができるという考えである。あしたなにをするか、だれに会うか、どんな言葉を口にするか。それらを自分で決めているという感覚は、とても自然なものだ。しかし一方で、私たちの性格や環境、これまでの経験、さらには脳のはたらきが、すでに行いを決めているのではないかという見方もある。もしすべてが原因と結果のつながりで決まっているなら、自由意志はただの思いこみにすぎないのだろうか。

ここでブロック宇宙論が登場する。ブロック宇宙論とは、時間を一本の流れとしてではなく、過去・現在・未来が同じように実在する四次元のかたまりとしてとらえる考えである。この立場は、アルベルト・アインシュタインの相対性理論の影響を受けて広まった。相対性理論では、時間は観測者によって変わり、絶対の「いま」はないとされる。そこから、宇宙全体は時間を含んだ一つの大きな構造であり、私たちの一生もすでにその中に位置づけられている、という見方が生まれた。

もしブロック宇宙論が正しいなら、未来もすでに存在していることになる。私たちがこれから下す決断も、宇宙の四次元構造の中にあらかじめ組みこまれているのかもしれない。そうだとすると、自由意志はどこにあるのだろうか。すべてが「すでに」あるのなら、私たちはただ決められた道をたどっているだけではないか、という疑問がわく。

しかし別の見方もできる。ブロック宇宙論は、出来事が四次元の中にあると言うだけで、その出来事がどのような原因から成り立っているかまでは否定しない。私たちの決断も、宇宙の中の一つの出来事であり、私たちの考えや理由にもとづいて成り立っている。つまり「自由に考え、選ぶ」という過程そのものが、ブロック宇宙の一部なのだ。外から見ると固定されているようでも、内側から生きる私たちにとっては、選ぶという体験はまちがいなく実在する。

ここで大切なのは、「自由」をどう定義するかである。もし自由を「どんな原因からも独立して行いを生み出す力」と考えるなら、ブロック宇宙論との両立はむずかしい。しかし自由を「自分の考えや欲求にしたがって行いを決めること」と考えるなら、たとえ宇宙が四次元の構造であっても、自由意志は成り立つ。この立場は両立論とよばれ、多くの哲学者が支持してきた。

自由意志とブロック宇宙論の関係を考えることは、運命と責任について考えることでもある。未来がどのような形で存在していようと、私たちは「いま」という位置からしか世界を生きることができない。そしてその「いま」において、考え、悩み、選ぶという経験は消えない。たとえ宇宙が大きな一枚の地図のようなものであっても、その地図の中を歩く足どりは、私たち自身のものである。

結局のところ、自由意志とブロック宇宙論のあいだの緊張は、人間が宇宙の一部でありながら、同時に意味を求める存在であることを示している。すべてが決まっているように見える世界の中で、それでも考え、選び、責任を引き受けようとする姿勢こそが、人間らしさなのかもしれない。



前の投稿
デザインセンスを渇望する


コメント