yukisskk

伊藤計劃が見て、読んで、遊んだもの

目次

34歳で世を去った作家が、これほど熱心な受け手だったという事実は、ときどき忘れられてしまう。伊藤計劃は『虐殺器官』と『ハーモニー』、そして未完のまま盟友の円城塔が書き継いだ『屍者の帝国』という三つの長編で知られているが、作家としての執筆期間はわずか二年ほどにすぎない。デビューのはるか以前から、彼は自分のホームページやはてなダイアリーに映画評とSF評を書き続けていたし、ゲームについては十代の頃から一人のプレイヤーとして深く没入していた。作家になる前の伊藤計劃が何を見て、何を読み、何で遊んでいたかをたどっていくと、あの二長編がなぜあのような輪郭を持つに至ったのかが、少しずつ透けて見えてくる。

伊藤計劃という書き手を評伝的にたどろうとすると、どうしても病と早すぎる死の物語が前面に出やすい。しかし本人が書き残した膨大なテキストを読み返す限り、そこにあるのは受け手としての貪欲さと、驚くほど具体的な固有名詞の連なりだ。誰の映画を見て、誰の小説を読み、誰のゲームで育ったのか。その一つひとつを丁寧に拾い集めることのほうが、伊藤計劃という作家の実像に近づく道筋になるのではないかと思う。

没後にまとめられた記録集『伊藤計劃記録』の紹介文は、伊藤の趣味の輪郭を四つの固有名詞で要約している。メタルギアソリッド、リドリー・スコット、押井守、そしてウィリアム・ギブスン。この四つの名前がそのまま、ゲーム、映画、日本の映像作家、海外文学という四つの回路として、後の伊藤計劃の作品世界に流れ込んでいくことになる。同書には2001年から2005年にかけて個人ブログ「伊藤計劃:第弐位相」に書かれた文章が収められていて、SFと映画とゲーム、それに自らの病についての記述が並んでいる。冷静さとユーモアを兼ね備えた世界の見方が、作家デビューのはるか前からすでに備わっていたことがうかがえる。

映画時評という助走路

伊藤計劃は自分のホームページ「Spooktale」で、デビューのはるか前から膨大な数の映画評を書き続けていた。この原稿群は後に『伊藤計劃映画時評集』としてハヤカワ文庫JAから二冊にまとめられている。二冊合わせて映画時評67本+αを完全集成しており、一冊目「Running Pictures」には「ファイト・クラブ」を筆頭に44本が、二冊目「Cinematrix」には「アヴァロン」「ハンニバル」「ブラックホーク・ダウン」「ボーン・アイデンティティー」「マトリックス リローデッド」「イノセンス」など、さらに24本が収められている。漫画家の篠房六郎は大学時代から伊藤の後輩にあたる人物だが、伊藤の映画評を読んでから同じ作品を見返すと見え方がまるで違って感じられたと述懐していて、ぼんやりとしか見えていなかったものを微細かつ多角的に捉え直す新しい視点を教えてもらったと評している。それだけ伊藤の批評眼が精緻だったことがうかがえる。

数ある評のなかでも、伊藤が繰り返し「オールタイムベストの一本」と公言していたのがデヴィッド・フィンチャー監督の「ファイト・クラブ」だった。アクションと殴り合いと悪夢が地続きになったこの作品への愛着は生涯変わらなかったようで、「セブン」といったフィンチャー作品への言及も見られる。そして伊藤にとってもう一人、特別な存在だったのがリドリー・スコットである。アンドロイドと捜査官が織りなすSFノワール「ブレードランナー」はもちろん、古代ローマを舞台にした「グラディエーター」、女二人のロードムービー「テルマ&ルイーズ」まで、ジャンルを問わずスコットの仕事を追いかけていた形跡があり、伊藤にとって心の師匠と呼べる監督の一人だったと伝えられている。

日本の映画監督では黒沢清と押井守への言及が多い。黒沢清については「日本映画最強の映画監督」とまで讃えていたといい、押井守作品では「アヴァロン」「機動警察パトレイバー2 the movie」「イノセンス」などを評の対象にしている。アンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」やイングマール・ベルイマン作品への言及も見られ、娯楽大作から作家性の強い映画まで、対象を選ばない貪欲さが伊藤の映画評の特徴だった。

伊藤の関心は監督買いにも及んでいて、ウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」「フレンチ・コネクション」「恐怖の報酬」「クルージング」「L.A.大捜査線」なども評の対象になっている。かと思えば、渡辺文樹監督の異色作「腹腹時計」のような自主制作映画にも触れ、上映前に町中に貼られまくった詐欺まがいの宣伝ポスターに騙された観客が味わうことになった衝撃を面白がって書き残すなど、間口の広さも印象的だ。愛好していたはずの「機動戦士ガンダム」に対してはその設定の甘さをしばしば批判していて、対象への愛情の深さと、対象を突き放して観察する視線が同居しているのが伊藤の映画評の特徴だった。

『伊藤計劃映画時評集』は二冊組のシリーズで、一冊目の副題は「Running Pictures」、二冊目の副題は「Cinematrix」という。走ることと映画を重ねた一冊目の題も、映画と座標系を重ねた二冊目の題も、伊藤が個々の作品を単発の感想として消費するのではなく、作品同士が交差し合う運動として捉えていたことをよく表している。どんなに評判の芳しくない作品にも、思わず涙をこぼしてしまいそうになる作品にも変わらず注がれていた映画への愛情は、二冊を通じて一貫して感じ取れるものだという。

闘病と批評が同居したブログ

伊藤は2001年に右足でユーイング肉腫が見つかり、手術で病巣を取り除いている。2005年には肺への転移が判明し、2006年には肺の一部を切除する手術を受けた。個人ブログ「伊藤計劃:第弐位相」には、こうした闘病の経過と、映画評やSF評、ゲームへの言及が同じ調子で並んで書き込まれていた。病について深刻ぶって語るのではなく、映画やゲームについて語るときと同じ温度で綴られていたことが、このブログの記録を読んだ多くの人に強い印象を残している。小島秀夫や虚淵玄をはじめとする第一線のクリエイターたちがこのブログの読者だったことも、伊藤の批評がジャンルの垣根を越えて届いていたことを示している。

音楽とヴィジュアルへの偏愛

映像への関心は音楽にも及んでいた。伊藤は自身のサイトでナイン・インチ・ネイルズの全作品をレビューするという企画を行っている。トレント・レズナーが作り上げるインダストリアルな音像、金属質でありながら生々しい肉体性を帯びた音楽性は、伊藤が後年『虐殺器官』で描く情報化された身体や、『ハーモニー』が突き詰めた意識と生政治の主題と、地続きの感触を持っている。一枚のアルバムを聴くように、一本の映画を見るように、一本のゲームをプレイするように、伊藤は対象のディテールを執拗に拾い上げてはテキスト化していった。映画評論、SF、ゲーム、音楽という複数のメディアを同時に横断しながら一つの美意識を育てていたことが、伊藤のブログ活動全体から浮かび上がってくる。

文学が刻みつけた文体

伊藤計劃が愛読していた作家として真っ先に名前が挙がるのがウィリアム・ギブスンであり、なかでもサイバーパンクムーブメントの立役者であるブルース・スターリングをお気に入りの作家として公言していた。伊藤はSFというジャンルを、社会とテクノロジーの力学を扱うことのできる唯一の小説形式として捉えていたようで、この認識はギブスンやスターリングが切り開いたサイバーパンクの問題意識と地続きにある。

ギブスンやスターリングが体現したサイバーパンクという潮流は、遠い未来のユートピアやディストピアを描くのではなく、テクノロジーがすでに浸透してしまった近未来の街並みと、そこで生きる人間の身体感覚を克明に描写することを特徴としていた。伊藤が『虐殺器官』で描いた戦場管理システムや、『ハーモニー』が描いた医療分子によって病を放逐された社会は、遠い未来のSFというよりも、現在の延長線上にある近未来として構築されている。この近未来への解像度の高さは、彼が長年サイバーパンクの文体と問題意識に親しんできたことと無縁ではないだろう。

興味深いのは、伊藤の文体そのものに、ギブスン作品の翻訳者として知られる故・黒丸尚の影響が色濃く残っている点だ。疑問符の代わりに三点リーダを多用し、ルビを装飾的に重ねていく独特の文章は、黒丸訳のギブスンを通過した読者だけが持ちうる癖のようなものだった。伊藤にとって読書は単なる情報の摂取ではなく、文体そのものを自分の身体に移植する行為だったようにも見える。

生前に発表された伊藤の小説はほぼすべて一人称で書かれていて、作品そのものが作品世界内に存在するテキストとして、あるいは誰かへの語りかけとして構成されるという、メタフィクション的な構造を繰り返し採用している。この語りの型もまた、伊藤が愛読してきたSFの系譜、そして自身が長年書き続けてきたブログという一人称のメディアから育ってきたものだったのだろう。読んできたものと書いてきたものが分かちがたく結びついているところに、伊藤計劃という書き手の特異さがある。

批評家の岡和田晃は、伊藤の死へいち早く応答した批評で評論賞を受賞した後、伊藤計劃とSFと世界文学という三つの柱を軸に自らの批評をまとめている。この組み立て方自体が、伊藤という一人の作家を語るには日本国内のSFシーンだけでなく、世界文学という広い座標軸が必要であることを示していて、伊藤がギブスンやスターリングといった海外作家から吸収したものの射程の大きさを裏づけている。

ギブスンとスターリングへの回帰

短編集『The Indifference Engine』には、伊藤が円城塔との共作というかたちで手がけた、ギブスンとスターリングの共著『ディファレンス・エンジン』に寄せた解説文も収められている。伊藤が敬愛してきた二人の作家が共同で書き上げた、蒸気機関で駆動するコンピュータが存在する改変歴史SFの古典に、伊藤自身が言葉を添えていたという事実は、彼の読書遍歴がそのまま執筆活動へと接続されていたことを象徴している。そしてこの解説文の先に置かれているのが、伊藤の絶筆となった『屍者の帝国』の草稿だった。19世紀末、死者を蘇生させる技術によって屍者が労働力として活用される世界を舞台にしたこの作品には、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』やブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』、シャーロック・ホームズものへの言及が織り込まれていて、伊藤が19世紀のゴシック文学とヴィクトリア朝SFという、また別の文学的血脈を摂取していたこともうかがわせる。ギブスンとスターリングというサイバーパンクの始祖から、スチームパンクの古典を経て、ゴシックホラーの原点へ。伊藤の読書は一直線には進まず、いくつもの時代とジャンルを行き来しながら、最後の長編の土台を作り上げていった。

短編に残された助走の跡

伊藤が長編作家としてデビューする前に発表していた短編やコミックは、後に短編集『The Indifference Engine』にまとめられている。伊藤の手による幻の漫画「女王陛下の所有物」から始まり、ウガンダの内戦と少年兵を題材にした表題作「The Indifference Engine」、そして『虐殺器官』のプロトタイプにあたる「Heavenscape」、メタルギアの二次創作という側面を持つ「フォックスの葬送」、コミック「A.T.D:Automatic Death」までが並んでいる。伊藤は1999年にも漫画「ネイキッド」でアフタヌーン四季賞冬のコンテスト佳作を受賞していて、作家デビューの何年も前から漫画という形式でも評価を得ていたことになる。同じモチーフが形を変えながら繰り返し現れるこの短編集を通しで読むと、一本の長編に結晶する前の伊藤が何を試行錯誤していたのかがよくわかる。「Heavenscape」の当初の設定は虐殺の言語ではなく、バイオロイドに乗っ取られるというもので、ここにもスナッチャーの影が色濃く残っていた。

ゲームという発火点

伊藤計劃という書き手を語るうえで欠かせないのが、ゲームデザイナー小島秀夫との関係だ。伊藤は中学生の頃にプレイした「スナッチャー」から小島作品にのめり込み、自らを「小島原理主義者」「MGSフリークス」と称するほどの熱狂的なファンになった。当時伊藤は「スプークテール」という小島作品のファンサイトを運営していて、そのクオリティの高さとマニアックさから、ファンのあいだだけでなく監督からも一目置かれる存在だったと、当時の読者は振り返っている。1998年春の東京ゲームショーで「メタルギアソリッド」の展示ブースを訪れた伊藤は、トレーラーの感想を小島本人に熱心に語り、これが二人の最初の出会いになった。以後もファンレターや同人誌を通じたやり取りが続き、ファンとクリエイターという関係のまま親交が深まっていった。

2001年9月、小島は入院中の伊藤への見舞いとして、社外秘だった「メタルギアソリッド2」の開発中カットシーンを持参している。映像を見終えた伊藤は、ゲームが完成するまで死なない、という趣旨の言葉を口にしたと伝えられている。発売された「メタルギアソリッド2」は当時賛否が分かれる作品だったが、伊藤は自身のブログでこの作品をこんな作品を喜ぶのは自分だけだと半ば開き直るような調子で熱心に擁護していた。

作家デビュー作『虐殺器官』の原型となった短編「Heavenscape」は、小島の初期作「スナッチャー」の二次創作として書かれたものだった。「スナッチャー」自体が「ブレードランナー」へのオマージュとして作られたことを踏まえると、伊藤のSFはブレードランナーからスナッチャーへ、スナッチャーからHeavenscapeへ、そして虐殺器官へと、二重三重に濾過されながら受け継がれてきたことになる。『虐殺器官』を読んだ小島は伊藤の才能に驚き、開発中だった「メタルギアソリッド4」の公式ノベライズを直接依頼した。伊藤はノベライズにありがちな軽い文体を避け、独立した小説として再読に耐えるものを目指して書き上げ、小島もその出来に満足したと伝えられている。小島は続けて「メタルギアソリッド3」とその後の物語をまとめて一つの小説として伊藤に託そうと考えていたという。

2009年2月、再入院した伊藤を見舞った小島は、映画や小説の話をしても表情が戻らない伊藤の様子を見て、伊藤に元気になってほしい、生きることを諦めてほしくないという思いから、当時まだ未発表だった「メタルギアソリッド ピースウォーカー」の構想を語った。すると伊藤はそのときだけ笑顔を見せ、完成するまでがんばると答えたという。この約束が果たされることはなかったが、翌年発売された同作のエンディングには、この作品を伊藤計劃氏に捧げるというメッセージが収録された。ファンとして始まった関係が、最後にはこうした形で結晶したことになる。

二次創作という原点回帰

伊藤の初期のテキストをたどると、小島作品からの影響がより直接的な形で見えてくる。幻の漫画「女王陛下の所有物」や、原型となった短編「Heavenscape」、そしてメタルギアの二次創作としての側面を持つ「フォックスの葬送」など、伊藤が作家としてデビューする以前に発表していたテキスト群は、そのほとんどが小島秀夫の作品世界を出発点にしていた。2002年に原作と世界設定を務めたコミック「Automatic Death」もまた、スナッチャーやブレードランナーの影響を色濃く受けた作品で、この時期の小島は伊藤の作品に対してあまり良い感想を伝えられなかったと後年振り返っている。当時の小島は、伊藤のことを作家志望というより自分と同じく映像を撮りたい人という印象で見ていたようで、伊藤が自作について小島に多くを語らなかったことも、その印象を強めた一因だったらしい。だが『虐殺器官』を読んだ小島の評価は一変した。ファンクリエイトから作家性へと切り替わっていく過程そのものが、伊藤計劃という書き手の成立過程だったと言えるかもしれない。

ボードゲームと友人たち

ゲームへの関心はデジタルなものに留まらなかった。伊藤は脚本家の虚淵玄らとボードゲームサークル「戦慄のマッド集団」を結成し、海外製のアナログゲームを遊んでは自身のブログにプレイリポートを書いていた。「バルバロッサ」のような作品のリポートも残されていて、伊藤の関心が映像やテキストだけでなく、対面でルールを共有し合うゲームの快楽にも向いていたことがわかる。

虚淵と伊藤の交友については、没後に編まれたファンブック『蘇る伊藤計劃』をめぐって虚淵自身がコメントを残している。伊藤の功績はあの生き様あってこそという側面も否定できず、それがジレンマだと感じる、と虚淵は率直な言葉で語っていて、才能への敬意と早すぎる死への複雑な思いがにじんでいる。二人が実際にどこまで打ち解けて話していたかについては伝聞の域を出ない逸話も多く、ここでは深入りしない。ただ、伊藤の個人ブログ「伊藤計劃:第弐位相」が虚淵をはじめとする同世代のクリエイターたちに読まれていたことは、複数の報道でも確認できる。

ボードゲームというアナログな遊びへの偏愛は、映像やテキストを一方的に受け取るだけでなく、ルールを共有する相手がいてはじめて成立する快楽を伊藤が好んでいたことを物語っている。虚淵をはじめとする同世代のクリエイターたちとテーブルを囲んでいた時間もまた、伊藤にとっては映画館の暗闇やゲーム機の画面と同じくらい大切な創作の土壌だったのだろう。

継承されていくもの

伊藤計劃は2009年3月に世を去るが、その受容の履歴は死後も形を変えて受け継がれていく。第4長編として構想されていた『屍者の帝国』は冒頭の草稿のみを残して未完に終わった。実はこの結末は、伊藤の生前にある程度織り込み済みだったようだ。担当編集者は伊藤の存命中、盟友・円城塔に「万が一未完に終わった場合は仕上げに協力してほしい」とあらかじめ打診し、円城もそれを了承していたという。伊藤自身もこの取り決めを知らされていたと伝えられている。実際に伊藤が死去したあと、闘病中に見舞いを重ねていた円城が遺稿を見せられ、「これは……やるしかないですね」と語ったことで執筆が始まり、3年余をかけて共著として完結・刊行された。円城の文体は伊藤とはまた異なる、散文詩的で実験性の強いものと評されることが多いが、生者と屍者という二項対立を軸に人間とは何かを考え続けるその構成には、伊藤が遺した草稿の主題を汲み取ろうとする意図がうかがえる。伊藤が敬愛した小島秀夫は、伊藤のことを自分の分身のような存在だったと評したことがある。ファンとして始まった一方向の憧れが、やがて創作者同士の対話に育っていった過程は、何かを愛し続けることがいつか作り手としての力に変わりうることを示す実例の一つでもある。

没後には、未発表だった漫画「NAKED」や初期の短編「海と孤島」を収めたファンブックも編まれ、伊藤が何を見て何を考えていたのかを多角的にたどれる資料が少しずつ増えていった。伊藤の作品世界に触発された若い作家たちのアンソロジー『伊藤計劃トリビュート』とその続編も編まれていて、テクノロジーが人間をどう変えていくのかという伊藤の主題は、今も新しい書き手たちのあいだで書き継がれている。人気アニメ「PSYCHO-PASS」第1期第17話では、槙島聖護というキャラクターが『虐殺器官』の一節を口にしながらこの本を読むシーンが描かれていて、この場面をきっかけに伊藤計劃という名前をはじめて知ったという読者も少なくないという。作品の内側にまで伊藤の存在が入り込んでいくかたちで、彼の受容の記録が広がり続けている。伊藤自身が誰かの映画やゲームや音楽を摂取し続けた受け手だったように、伊藤という存在もまた、次の世代にとっての摂取対象になっているわけだ。

摂取したものが変換されるまで

映画評論家としての伊藤、ギブスンの文体を血肉化した読者としての伊藤、そして小島秀夫という一人のクリエイターに人生を変えられ続けたプレイヤーとしての伊藤。この三つの回路をたどっていくと、『虐殺器官』の硬質な文体も、『ハーモニー』が突き詰めた意識と身体の主題も、単なる思いつきではなく、十年以上かけて摂取し続けたものが濾過された結果であるように見えてくる。ブレードランナーからスナッチャーへ、スナッチャーからメタルギアソリッドへ、そして虐殺器官へ。ギブスンから黒丸尚の文体へ、黒丸尚の文体から伊藤自身の三点リーダとルビの多用へ。摂取したものが少しずつ形を変えながら次の作品に受け渡されていくように見える様子は、伊藤自身が愛したSFというジャンルの継承のされ方そのものと重なって見える。

三部作を読み返すとき、その奥にリドリー・スコットの視線や、黒丸尚を経由したギブスンの文体や、小島秀夫のゲームデザインが幾重にも折り重なっていることを意識すると、伊藤計劃という作家の輪郭がまた少し違って見えてくるはずだ。何を見て、何を読み、何で遊んだかという履歴は、作品そのものと同じくらい雄弁に、一人の作家の姿を語っている。

こうして固有名詞を一つひとつ拾い集めていく作業は、伊藤計劃という作家を神格化された早逝の天才として遠くから眺めるのではなく、一人の熱心な観客であり読者であり、そして誰よりも熱心なプレイヤーだった人間として捉え直す作業でもある。映画館の座席で、書店の棚の前で、ゲーム機のコントローラーを握りしめて、伊藤計劃は膨大な時間を他人の作った物語の受け手として過ごしていた。その受容の蓄積があったからこそ、わずか二年という執筆期間のなかであれほど密度の高い長編を書き上げることができたのだろう。何を摂取したかを知ることは、何が生み出されたかを知ることと同じくらい、この作家を理解するうえで欠かせない手がかりになる。



前の投稿
フィリップ・K・ディック入門——最初の1冊はどれがいい?


コメント