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「バックアップから復元した自分は、死ぬ前の自分と同じ人間なのか」。この謎をめぐって、SF小説は肉体の乗り換え、記憶バンクからの周期的な復元、死者の人格が生者に上書きされる話、個の意識が集合体へと溶けていく話まで、さまざまな手段でコピーを描いてきた。
今回選んだ10作は、意識のコピーという一点だけに絞ったものではない。共通しているのは、「自分を自分たらしめているものは何か」という問題に接続している点だ。記憶なのか、肉体なのか、それとも意識の連続性なのか。コピーという技術を直接描く作品だけでなく、その境界まで少し広げて選んだ。
1. 『時間外世界』ラリイ・ニーヴン
冷凍保存されていたジェローム・コーベルの人格と記憶は、未来の技術によって別人の肉体へ移植される。目覚めた彼が手にしているのは、自分の記憶と人格を持ちながら、自分のものではない体だ。後半はブラックホールを利用した恒星間飛行や数百万年後の地球へと話が飛躍していくが、物語の出発点にある「心と体のどちらが人間を決めるのか」という問題は、コピー元と移植先の境界を最初から揺さぶってくる。
2. 『都市と星』アーサー・C・クラーク
遥かな未来の地球に残った都市ダイアスパーでは、人間の情報パターンが中央コンピュータの記憶バンクに保存され、寿命が来るたびに新しい体で復元される。ほとんどの住民は過去にも何度かダイアスパーで生きている一方、主人公アルヴィンは過去の生を持たない「ユニーク」と呼ばれる存在だ。1956年の作品でありながら、人間を情報として保存し、新しい肉体へ復元する社会を都市規模で描いている。
3. 『アッチェレランド』チャールズ・ストロス
マックス家三世代を通して、人類が技術的特異点を迎える過程を描いた年代記。物語が進むにつれて、人間の思考や人格そのものがソフトウェアとして複製・実行される存在になっていく。太陽系の物質がコンピュータ資源として再構築されていく終盤の展開は、意識の複製が個人単位の問題を超えて文明規模の問題になったときに何が起きるかを示している。
4. 『いまひとたびの生』ロバート・シルヴァーバーグ
死者の人格を記録し、生きている人間に憑依させる技術が存在する未来。記録された人格は宿主の体を借りて再び行動できるが、それは死者が生き返ったと言えるのか、それとも生者が死者に乗っ取られただけなのか。コピーが第三者の体に入り込むという設定が、本人性の問題を一段とねじれた形で突きつけてくる。
5. 『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ
臓器提供のために育てられるクローンたちの物語。この作品は意識のコピーを扱ったSFではない。しかし、他者を元に生み出された人間の価値という問題を通して、今回のテーマを生物学的な方向から照らしてくれる。クローンであっても、彼らには記憶があり、友情があり、恋愛があり、自分だけの人生がある。コピーとオリジナルの違いはどこにあるのかを、技術的な思考実験ではなく人間ドラマとして突きつけてくる一冊だ。
6. 『われらはレギオン1 AI探査機集合体』デニス・E・テイラー
現代に生きていたSFオタクのボブは事故で死亡する。しかし117年後、保存されていた彼の人格はコンピュータ上の存在として目を覚ます。肉体を失ったボブは、自己複製能力を持つ宇宙探査機の人工知能として宇宙へ送り出され、自分自身のコピーを作っていく。
面白いのは、増えていくボブたちが完全に同じ存在ではないことだ。同じ記憶から始まったはずなのに、それぞれが経験を積むにつれて性格や価値観に違いが生まれていく。最初のボブは本人なのか。そこから作られた二人目のボブはどうなのか。さらにコピーから作られたコピーはどこまでボブなのか。「自分をコピーしたら、それは自分なのか」という今回のテーマを、これ以上ないほど文字どおりの形で楽しめる一冊だ。
7. 『果しなき河よ我を誘え』フィリップ・ホセ・ファーマー(リバーワールド1)
歴史上存在した人類が、巨大な河のほとりで一斉に復活する。死んだはずの人間たちは若い肉体を与えられ、それまでの人生の記憶を持ったまま目を覚ます。作中の人物たちは復活した自分を以前と同じ自分として受け入れているが、読者の側から見れば、死んだ人間と同じ記憶や人格を持つ肉体が新しく作られたとき、それは蘇生なのか、それとも本人そっくりの新しい人間なのかという問いも浮かんでくる。
8. 『ブラッド・ミュージック』グレッグ・ベア
遺伝子工学者が作り出した微小な知性体「ヌーサイト」が人間の体内で進化を始め、やがて人間の意識や記憶を取り込みながら巨大な集合的知性へと発展していく。ここで起きるのは単純な人格コピーではない。個人としての自分が失われたあとにも、自分の記憶や意識の一部がより大きな存在の中に残っているなら、それを生存と呼べるのか。コピーとは少し違う方向から、自己とは何かを問い直してくる作品だ。
9. 『スチール・ビーチ』ジョン・ヴァーリイ
月面文明を舞台にしたエイト・ワールズ・シリーズの一作。この世界では人は定期的に自分自身を記録しておき、死んだ場合はクローンの体に最新の記録を復元して生き返ることができる。復元された自分と、記録を取ってから死ぬまでの間の記憶を失った自分は、はたして同じ人間と言えるのか。ユーモラスな語り口の裏に、記録と復元のあいだに生じる欠落への不安が通底している。
10. 『デカルトの密室』瀬名秀明
自意識を持つロボット、ケンイチをめぐるSFミステリ。物語の終盤、ネットワークの世界に自我を解き放った人間たちが、現実とネットの両方を知覚できるケンイチの体を通して世界を認識し直そうとする。ロボットの心を扱う話でありながら、実質的には、「人間の意識が肉体を離れてネットワーク上の存在に移り変わるとき、それは元の人間と地続きなのか」というテーマに対して、哲学的な議論を交えながら追い詰めていく一冊だ。
10作を並べてみると、「自分」を残す方法は驚くほど多い。人格を別の肉体へ移す。コンピュータに保存する。新しい肉体へ復元する。自分自身を何人にも増やす。あるいは、他者と混ざり合って個人という境界そのものをなくしてしまう。
しかし、どの方法を選んでも最後に残る問題はよく似ている。記憶も性格も思考も完全に同じ「もう一人の自分」を作ったとして、こちらの意識が向こうへ移動したと感じられなければ、それは自分が生き延びたことになるのだろうか。
コピーはどこまで精巧になっても、コピーでしかないのか。それとも、そもそも「オリジナルの自分」という感覚のほうが幻想なのか。
10作のどれからでも構わない。もし明日、自分の記憶と人格を完全にコピーできる技術が完成したとしたら、それを「自分」と呼べるか。そんなことを考えながら読むと、どの作品もまた違った顔を見せてくれるはずだ。
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