出撃。戦死。出撃。戦死。
この繰り返しが158回続いた先に、物語の核心がある。近未来の地球では、ギタイと呼ばれる謎の宇宙生物が地表を侵食し続けている。統合防疫軍に徴集された初年兵キリヤ・ケイジは、初陣の戦場コトイウシで敵弾を受けて死亡する。しかし次の瞬間、出撃前日の朝に戻っていた。死んでも死んでも同じ日の朝に引き戻される。そのループが何度を数えたとき、煙たなびく戦場でケイジはひとりの女性兵士と再会する。
「バトルアックスのリタ」と呼ばれる女准尉リタ・ヴラタスキは、異様に強い。一度の出撃で数百のギタイを屠る規格外の戦士だ。ケイジは気づく——彼女もループを経験しているのではないか、と。その直感が正しいと証明されるシーン、リタが緑茶を一口飲んでケイジの目を見る場面は、本書で最も多く読者に言及される箇所だ。言葉ではなく所作で通じ合う、あの瞬間の密度は、ループSFというジャンルの中でも際立っている。
著者の桜坂洋は、あとがきで本作の発想をRPGに例えている。死んでもセーブポイントに戻るゲームの論理を、戦争小説に持ち込んだ。ただしゲームと違うのは、「体は鍛えられないが精神と戦場知識は持ち越せる」という非対称な成長の設計だ。ケイジは158回の死を経て、歴戦の兵士の勘と反射を手に入れる。しかしその代償として、彼の内側には他人には共有できない時間の重みが積もり続ける。
ループの原因はギタイの生物学的な特性に根ざしており、SFとしての論理的な整合性も確保されている。そしてその原因が明らかになるにつれ、ケイジとリタが置かれた状況の残酷さが浮かび上がる。ループを終わらせる方法は存在するが、それは単純な勝利ではない。ここが映画版「Edge of Tomorrow」と原作の最大の分岐点だ。映画はループを解消してハッピーエンドへ向かうが、原作は別の着地を選ぶ。どちらが「いい」かではなく、原作の結末が持つ余韻が根本的に異なる。
神林長平が推薦文を寄せており、「このライトノベルがすごい!」2006年版で1位を獲得した。ラノベのレーベルから出発しながら、SF界から本格SFとして高く評価されたのは、世界設計の堅固さと、ループという構造を感情のドラマとして機能させた手腕があったからだ。トム・クルーズ主演のハリウッド映画化(2014年公開)で知った読者が原作へ遡る逆順の出会いも多い作品だが、原作の切れ味は映画とは別の場所にある——繰り返される一日の果てに残るのは、二度と戻らない一回きりの時間の重さだ。
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