主人公の玲斗は、いわくつきの青年だ。いい加減で、少し投げやりで、社会のレールから外れかかっている。そんな彼がある日、見ず知らずの叔母・千舟から不思議な申し出を受ける。「私の代わりに、クスノキの番人になってほしい」と。そのクスノキは、月郷神社の境内に佇む樹齢数百年の巨木で、夜になると人びとが根元に集まり、しばし佇んで帰っていく。「祈念」と呼ばれるその行為が何なのか、玲斗には最初まったく説明されない。
この小説でいちばん印象に残るのは、「祈念」というモチーフの扱い方だ。人はなぜ祈るのか。合格祈願でも縁結びでも、祈りの根っこにあるのは「自分ひとりではどうにもならないこと」への切実な思いだと思う。クスノキに集う人びとも、喪失、後悔、愛惜、許しといったものをそれぞれ抱えてやってくる。東野圭吾はここで、祈りとは何かを願うことではなく、何かに委ねることだというメッセージを静かに差し出している気がした。コントロールを手放し、それでいいと自分に許可を与えること。番人とはそのための場所を守る者なのだと、読み終えてから気づいた。
玲斗が番人として人びとと関わるうちに少しずつ変わっていく過程も、丁寧に描かれている。他者の痛みに触れ、叔母の生き様を知り、自分自身のルーツを辿ることで、彼の中にあった何かが溶けていくような感覚。読み始めた当初はあまり感情移入できなかったのに、いつの間にか玲斗を応援している自分に気づいた。人は他者を通じてしか変われないという言葉は使い古されているけれど、それでも本作を読むとその重みをあらためて実感させられる。
東野圭吾の作品の中でも、本書はかなり「やさしい」部類に入ると思う。意地の悪い人間が少なく、複雑な悪意もほとんど登場しない。そのぶん、ページを閉じたときに残るのは温かくてどこか切ない感情だ。クスノキというモチーフは、日本の自然信仰や鎮守の森の文化とも深く結びついている。巨木の前に立ったときのあの言葉にならない畏敬の念を、東野圭吾はエンターテインメントという形できちんとパッケージして届けてくれる。
ミステリとしての謎解きの快感ではなく、読んだあとにゆっくりとほぐれていくような余韻——本作の魅力はそこにある。たまには、謎を解くのではなく、ただ木の前に佇む読書もいい。そう思わせてくれる一冊だった。
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