慣れ親しんだ曲のイントロがかかるとそこは会場となった。
アイナがマイクを持って歌って踊っている。その曲は案の定だけど変身ヒロインアニメの主題歌だ。意外だったのは、外見だけならギャル代表ユッコちゃんが、アイナの動きを完璧なまでにトレースしていたことだった。もしやと思ってユッコちゃんの通学バッグを見ると、肩紐の部分にじゃらじゃらとついていたのは特設ストア限定のデフォルメミニフィギュア群で、バッグの合皮表面はヒロインの決めポーズ画像が刻印された缶バッジで龍のうろこみたいに隙間なくデコレーションされていた。
親友はアニメについての知識が全くと言っていいほどないので、邪魔にならないように手拍子を適度に打ったりしていた。「あぁぁあ、可愛いぃぃぃ」佳奈はアイナとユッコちゃんの姿をスマホで撮りまくっていた。動物園でパンダを初めて見た子供みたいなはしゃぎようだった。
僕はその光景を烏龍茶でちびちびと喉を潤しつつ眺めていた。あまり余分なことを考えすぎず、次に予約が入っていた曲の歌詞を思い出しながら。
曲の合間の空白を埋めるように、僕はドリンクバーで飲み物を入れに部屋を出た。
「昨日は大丈夫でしたか?」
グラスに烏龍茶を注いでいると、ユッコちゃんが僕に話しかけてきた。その手には空になったグラスを持っていた。
「うん。ごめんね、心配かけちゃって」 「いえいえ、アイナのためならなんでもしてあげたいんです」
メロンソーダのボタンを細長い指で押しているユッコちゃんは、グラスから炭酸がもこもこと泡立ってこぼれそうになっては指を離して、気泡が収まったらまたボタンを押してと慎重だった。
「ありがとね、ユッコちゃんがいてくれてアイナも喜んでるよ」 「感謝するのは私の方ですから」
ユッコちゃんはボタンから手を離すと、僕を見てニッコリと笑った。その仕草はアイナのものとよく似ていた。
「アイナがいなかったら、いまの私はなかったので」
独り言のような響きを持った言葉がユッコちゃんの唇から漏れ出た。それと同時に、ユッコちゃんに暗い影が落ち始めた。それは明るくて元気さが取り柄のような彼女の出で立ちからは想像もつかないような濃度だった。
容易に触れたら飲まれてしまうほどのもの——蒸気のような漠然としたニュアンスをこれでもかと凝縮した——が、気づいたら彼女の周りにまとわりついていた。
いままでの僕だったらそういう多次元的情報をそのまま取り入れようとしていた。そして、自身で処理しきれずに目に見えない恐怖を引き起こしていた。しかし、同じてつを踏むことはアイナとの約束を反故にしてしまうことに繋がってしまう。それだけは避けなければならなかった。兄として芽生えてきた矜持が僕にそう問いかけてきたからだった。
だから僕は、そういう情報を意識的にフィルターにかけて除去すると、
「アイナしか勝たん同盟の同志諸君は、そんな暗い顔したまま部屋に戻るのですか?」
と、呑気に尋ねた。それはユッコちゃんに対しての恩返し的な意味もあるし、彼女に少しでも笑顔になってほしいと願う僕自身の善意からでもあるし、そして、悩み事ならそちら側で解決してくれという身内以外に対する冷酷さでもあった。
ユッコちゃんはハッとした表情を浮かべると、顔を左右にぶんぶんと振って、
「そんなことしたら極刑ですからね」
と、言った。
ユッコちゃんは笑顔になると、「先に部屋に行ってます」足取り軽やかに部屋へと向かっていた。
僕はその後ろ姿を見送りながら、半分も入っていない烏龍茶をその場で飲み干した。
喉を通っていく冷たさが心地よかった。
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