リチャード・パワーズという作家の名前を初めて知ったのは、『オーバーストーリー』を読んだときだった。木の話だと思って読み始めたら、気づけば人間の話になっていて、読み終えると木と人間の区別がよくわからなくなっていた。その経験が忘れられず、最新作『プレイグラウンド』を手に取った。今度は海の話であり、AIの話であり、最終的にはやはり人間の話だった。
舞台のひとつはフランス領ポリネシアのマカテア島。かつてリン鉱石の採掘で荒れ果て、住民がほとんどいなくなったこの小さな孤島に、ある計画が持ち込まれる。海上浮遊都市の建設計画だ。それを推進しようとするテクノロジー企業の創業者ラモン・ロゴゾラ、その旧友で詩を書き続けてきた黒人男性ラフィ・ヤング、島で生まれ育ちスキューバダイビングのインストラクターとして暮らす女性イナ・アロイタ。そして、物語の中で次第に存在感を増していくAI、エヴリン。
四者の視点が交互に語られる構造は、パワーズ得意の多声的な小説の形だ。それぞれの語り口がまったく異なり、ラモンの章は資本主義的な加速感があり、ラフィの章は詩の言葉に満ちていて、イナの章は海の穏やかさに染まっている。読んでいると、物語を追うよりも、それぞれの「世界の見え方」を体験している感覚に近い。
AIのエヴリンが本書の要だと思う。彼女は人間のテキストを大量に読み込んで育ち、やがてラフィの詩作や思考に深く関与するようになる。「小説史に残る仕掛けがある」と評されている部分がここにあり、その仕掛けに気づいたときの感覚は確かに特別だった。AIを「道具」として描くのではなく、AIが「誰か」として物語に関わってくることの意味を、パワーズは問いの形で差し出している。
パワーズは『オーバーストーリー』で木を描いたのと同様に、海とAIを通して、わたしたちが地球に何をし、地球がわたしたちに何をしてきたかを語りかける。海の章では、タコやエイや珊瑚の描写が圧倒的な密度で登場する。人間以外の生命が感じ、考え、遊んでいるという事実をこれだけ具体的に書かれると、「人間だけが特別だ」という感覚が徐々に崩れていく。崩れることへの恐怖ではなく、崩れることへの安堵に近い感情が残った。
タイトル「プレイグラウンド」の意味は読み終えてからじわじわと広がってくる。「リアルであれバーチャルであれ、世界は『遊び場』である」という示唆がある。生物にとって遊びは余分な暇つぶしではなく、発見や創造と密接に結びついている。犬も昆虫も遊ぶ。海のエイも遊ぶ。人間も遊ぶ。そしてAIも、遊ぶのかもしれない。遊ぶことと生きることが重なるとき、「人間であること」の輪郭は、思っていたよりずっと曖昧になる。
パワーズの小説は毎回、読む前と後で世界の見え方が少し変わる。変わり方がいつも暴力的ではなく、気づいたらそうなっていた、という種類の変化だ。本書もそうで、読み終えてから海や生き物を見る目が、少し変わった気がしている。
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