目次
1. メモ
- 投稿にいいねとコメント機能を追加した
- きょうのnote、なんか同じ文脈を繰り返したほうが筆が乗った。だけど読んでいるときの違和感がすごいんだよなぁ。冗長性がはんぱない。リライトした方が全体としての収まりがよくなりそうだけど、ノイズみたいなのがあった方がなんかいい感じもするわけで。文章をバチバチに校正させないほうが味があるような気もする
2. 時事オピ
【速報】「新年一般参賀」の最中 男が前列で裸に 公然わいせつの疑いで現行犯逮捕 柵を乗り越えた先で皇宮警察らに取り押さえられる SNSで予告の情報も
捜査関係者によりますと、きょう(2日)午後2時半ごろ、皇居・宮殿前で行われていた「新年一般参賀」の最中に、前列にいた男が突然裸になり、公然わいせつの疑いで現行犯逮捕されました。
SNS上で事前に裸になるてきな発言もあったそうで、どこまで真偽を事前に把握できるかが肝要
3. 物理警備は完璧だったが情報戦で負けた一般参賀の逮捕劇
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2026年の幕開けとなる1月2日の午後、穏やかな冬の空気が流れる皇居で、ある騒動が起きました。新年一般参賀という、多くの国民が皇室の方々の長寿と安寧を祈る晴れやかな場で、20代の男性が突如として奇声を上げ、衣服を脱ぎ捨てるという挙に出たのです。時は午後2時半ごろ。天皇皇后両陛下と秋篠宮ご一家がベランダにお立ちになり、陛下が温かいご挨拶を終えられた直後のことでした。男性は最前列の柵を乗り越えようとしたところを、近くに配置されていた皇宮警察と警視庁の警察官に即座に確保されました。毛布にくるまれて連行されるその姿に、周囲は一時騒然となりましたが、宮内庁の発表によれば、一般参賀そのものの進行に大きな滞りはなかったようです。
この出来事は、単にひとりの若者が引き起こした迷惑行為として片付けることはできません。なぜなら、この男性がSNS上で、事前に犯行をほのめかす投稿をしていたという情報を、複数の報道機関が伝えているからです。誰でも閲覧できる状態で予告がなされていたにもかかわらず、それを未然に防げなかったという事実は、現代社会における警備のあり方に重い問いを投げかけています。私たちが暮らすデジタル社会において、膨大な情報の海から危険の兆候をいかに見つけ出し、現実の被害を食い止めるか。今回の一件は、その課題を浮き彫りにしたと言えるでしょう。
法的な側面から見れば、男性の行為は刑法で定められた公然わいせつ罪に該当すると考えられます。この犯罪は、不特定多数の人が認識できる状態で、性的な秩序を乱すような行為をした場合に成立するものです。数万人もの人々が集まる参賀会場という状況を考えれば、公然性という要件が満たされていることは疑いようがありません。したがって、現場での現行犯逮捕という判断は適切であり、法にのっとった正当な手続きであったと言えます。
しかし、ここで私たちが深く考えなければならないのは、なぜSNS上の予告が捜査当局に十分把握されず、事前の防止につながらなかったのかという点です。インターネット上には、違法な情報や有害な書き込みを通報するための公的な窓口がすでに存在しています。爆破予告や殺人予告といった、人の命に直接関わる緊急性の高い事案については、迷わず警察に通報することが推奨されています。ところが、今回のような露出行為の予告となると、違法性や緊急性の判断が難しくなるのが現実です。それが単なる悪ふざけなのか、それとも実行の意思を伴う危険な兆候なのか。その境界線はあいまいで、警察が具体的な行動を起こすための基準も、明確ではない可能性があります。
警備体制の視点からも、課題が見えてきます。皇室の平穏を護ることを専門とする皇宮警察は、約900人の体制で、24時間365日、皇居の警備や皇族の方々の護衛にあたっています。一般参賀のような大規模な行事の際には、警視庁とも連携して厳重な警備網が敷かれます。実際、今回の現場での対応は極めて迅速でした。男性が柵を越えようとした瞬間に取り押さえられたことは、物理的な警備員の配置や連携が効果的に機能していた証左です。現場の警察官たちの動きには、日頃の訓練の成果があらわれていたと言っていいでしょう。
その一方で、物理的な警備の堅牢さに比べ、情報の側面での警備には脆さがあったと言わざるを得ません。SNSでの予告情報が事前に共有されていなかった背景には、日々流れ続ける膨大な情報の中から、真に脅威となるものを選別する仕組みがまだ不十分だ、という現状があります。インターネット上には、実行するつもりのない過激な発言や、注意を引くための嘘が溢れています。その中から、今回のような本気の予告を見つけ出すことは、砂浜で一粒の宝石を探すような困難さを伴います。
この事件は、SNS時代における私たち一人ひとりの情報の接し方についても、重要な示唆を与えています。不特定多数の人が目にする形での犯行予告は、警察の対応能力だけの問題ではなく、それを見た一般の市民が、その情報をどう受け止め、どう扱うべきかという倫理的な問題も提起しています。予告を目にした人が警察に通報することが、本来であれば最善の対応です。しかし、どれが本気で、どれが冗談なのかを見分けることは、専門家であっても容易ではありません。その結果、多くの予告情報が「どうせ嘘だろう」という心理で見過ごされ、通報されないまま流れていってしまうのが実態なのです。
陛下のご挨拶という、国家にとって象徴的で厳粛な瞬間にこのような事件が起きたことに対し、人々の感情が波立つのは当然でしょう。SNS上では、礼儀を欠いた行為だ、罰当たりな振る舞いだといった怒りの声が多く上がりました。しかし、感情的な反発だけで終わらせてしまっては、再発防止にはつながりません。私たちが制度的な問題として検討すべきなのは、SNS上の予告に対する警察の対応基準をより明確にすること、そして情報が氾濫する社会において脅威を正しく評価する方法論を確立することです。さらに、大規模なイベントの際には、現場の物理的な警備だけでなく、ネット上の情報とも連携した警備体制を強化することが求められます。
皇宮警察と警視庁の現場での連携はすばらしいものでした。しかし、事前の段階でのSNS情報との連携は、十分ではなかったと言わざるを得ません。今後、このような事態を二度と起こさないためには、SNSを運営する企業と警察当局との協力体制をより強固なものにし、予告情報の危険度を段階的に評価する仕組みを構築することが不可欠です。また、私たち社会全体としても、オンラインでの言葉や振る舞いが現実社会にどのような影響をもたらすのか、その認識をより深めていく必要があります。今回の騒動は、デジタル時代における公共の秩序をいかに維持していくかという、日本社会が直面している難題を私たちに突きつけた、ひとつの事例であると言えるでしょう。怒りや嘆きを超えて、より安全で平穏な社会を築くための議論が、いま求められています。
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